戸田真琴監督初作品「永遠が通り過ぎていく」
「マリアとアリア」
「Bule Through」
「M」
三つの短編からなる作品。
昨年から観たかった、念願叶って劇場にて体感することが出来ました!上映後の戸田監督とのむらなおさんとのトークショーを含めて、今日という日が特別な特別な時間になりました。映画には揺れている空気までもが映されていて。すべてのすべての瞬間が、愛おしかったです。
オープニングシーケンス。
めちゃくちゃ好きでした。ドビュッシーの月の光が流れた瞬間、月の光は私にとって特別な曲でもうどうしてわかるの?って思いました。映し出される情景が圧倒的に美しくて。眩しくて。カメラというより、人の目の(戸田監督の目の)レンズで撮ったんじゃないかって感じました。まるで走馬灯のようで。私は自分の走馬灯を見ているのかなっていう感覚になりました。変な言い方になるかもしれませんが、自分が水に沈んで死んだような気持ちになって。ああ、これで死んだから生きられるって感じました。圧倒的な生命の輝きと死の体験を味わっている気持ちになりました。
「アリアとマリア」
アリアとマリア、二人はこんなに近くにいるのに(物理的に)、こんなにも離れていて(心理的に)それが絶望を感じさせるのだけど、"理解し合えない"という美しさを見ていると私は感じて。ふたりの放つ切実さが、お互いに刺さっているのが表情から伝わってきて。それはとっても痛いはずなのに、二人は自分に嘘をついて相手に合わせようとか自分を変えようとはしていなくて(それが出来ない強さともどかしさも感じられて)己が持つ信念、欲望、願いに誠実でまっすぐである姿がとても綺麗だと思いました。
「Blue Through」
好き。映るどれもが愛おしかった。伴走する音楽がとても、好きだった。見ながら私は勝手に自分の過去を遡って美しくしてもらったような気持ちになって。あなたの通ってきた道は美しいんだよって、戸田さんに言われているように感じて。自分の過去とのこんな素敵な出逢い方があるんだってびっくりと喜びと涙とぽろって体のかさぶたみたいな皮が剥がれたような感覚になりました。
「M」
大森靖子さんの「M」という曲を私は聴いたことがあるのに、を目の前に初めて聴いたような感覚になりました。稲穂に反射して、太陽が横顔が涙が、映像がばあああああって体の中に入ってくる感覚でした。音響がすごく良くて、劇場内に響く大森靖子さんの声は、いつだって1対1で自分に歌ってくれている大森さんの声で。ああ、大森の声だって。私は大森靖子さんがやっぱりすごく好きなんだって思いました。
戸田真琴さんと大森靖子さんという物凄いふたりが、映画と音楽という芸術に命をぶつけているのが私の体に伝わってきて。生きる方へと押し出される感覚で。これを見たからには、私はどうにか生きなくちゃと思いました。映画館で観ることが出来て本当に本当に良かったです。
三編から立ち上がってくるものがありました。今、このタイミングで見れたこと私にベストでした。また違うタイミングで見たら、感じることや思うことが違って見えそうで。絶対違うんですよね、きっと。見たそのときの自分を反映する作品なんだと感じました。
三編全部を通して光がすごくて。光が、立体的でそれは影も写しているからだと思うのですが。その光は絶えず揺れていて。なんだかまばたきをして見ているような気持ちになり。何度も何度も胸が揺さぶられました。こんなにも世界を美しいと思っていいんだって、思えました。
眩しいとも違う、なんて表現したらいいのか自分の目の感度が極度に上がったような。くっきりと繊細に鮮やかで残酷過ぎるくらい解像度が上がって世界を見ているそんな感覚になりました。そしてそれこそが私にとっての「映画」という存在で。映画という媒体が持っている潜在的で一番純粋な力を濃度凝縮して表現しているなんて物凄い映画なんだと。私にとって映画の中の映画でした。
私は昔からなのですが。
詩、演劇、音楽、芸術というものに救われながら生きていて。それが自分が生きていくために必要で。芸術に触れて、なんとか息をしていて。そういう人間だから、自分が生きていける映画に出逢いたくて。
この「永遠が通り過ぎていく」は、私にとって生きていくのに必要な映画でした。
きっと絶対勘違いじゃなく。ああ、これは私に向けて創られた映画だって感じられて。自分の感性で生きてて良いんだって胸がうぅって苦しくなり、どうしようもなく嬉しくなりました。私のようにこの映画を必要としている人がたくさんいるんじゃないかなって強く思いました。
余談で。
私が今まで観てきた映画の中で、自分がどういう風に世界を見ているかがそこに映っている。まるで自分の目で見ているみたいだと感じたのがジム・ジャームッシュの「パーマネント・バケーション」という映画なのですが。
「永遠が通り過ぎていく」は、私が見ている世界を悠々と飛び越えて、
戸田監督の映画は生きていていいんだよとに、もっと感度を持って生きていいんだよって言ってもらったように感じて。
私は水に反射する光を見るのが好きなことたか、空を動く雲を見ては上空の風の速さを感じていることとか、いつもぼーっとしながら人が生活している周囲の環境音を聴くのが好きなこととか。
なんかそういう自分だけの感性を持って生きることをそういう感覚全部をいいんだよってこの映画は語っているように私は感じられて。そのどこまでも先頭を切って走っているのが身を持って生きているのが戸田監督という人間なんだって思いました。
「永遠が通り過ぎていく」は、私が見ている世界を悠々と飛び越えて、戸田真琴監督を通して見る世界は圧倒的に言葉を越えて美しくて。世界を自分を、過ぎる一瞬一瞬の瞬間をぎゅーって両手で胸に抱きしめているような気持ちになりました。私にとって特別すぎる特別な映画になりました。また映画館で、戸田監督が創る映画に会いたいです。
上映後にパンフレットに戸田監督からのサインをいただきました。まこにゃんとカントクの文字。素敵。自分の番が来てサインをもらうときに少しだけ直接お話が出来たのですが、映画から受け取るものが多すぎて言葉に詰まってしまった私に、戸田さんは目を見て言葉を待ってまっすぐ受け止めてくださって。なんて誠実でなんて素敵な人なんだろう、うう。ありがとうございます。
へこたれながらも、私ももっともっと自分の感性を自分が持っているものを磨いていきたいと思いました。
It's my special thing.