言葉と思考・観たもの感じたもの🎹🌼🌿🌷🐦✨

演劇・映画・音楽を観た感想を書いてます。日記のような思考の記録もあります。

映画「ピーナッツバター・ファルコン」

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原題:THE PEANAT BUTTER FALCON
監督:タイラー・ニルソン、マイケル・シュワルツ
出演:シャイア・ラブーフ、ザック・ゴッサーゲン、ダコタ・ジョンソン

(内容を含みますので、これから観る方はお気をつけください)
































"病気であることと魂とは何の関係もない"


体温を感じる映画だった。

ザックはすごいね。
リングに立つ前のザックに言うタイラーの言葉が響いている。タイラーがあんな風に声を出すなんて。タイラーからあんな言葉が出るなんて(それは他でもないザックだったからで)。ザックと出会う前のタイラーからは想像もつかないほどの変化で、でもそれはずっとタイラーの中にあったものでそれがザックとの出会いによって表に現れただけなんだよなって思った。もともと持っているタイラーという人間の本質がザックとエレノアとの出会いになって関係を育んでいったのだ。焚き火を見ながらタイラーがザックに話した魂の話は自分に言われているみたいに感じて泣きそうになった。焚き火の夜は、ザックにとってタイラーがタイラーにとってザックがより何倍にも増して互いの存在が特別になった瞬間だったと思う。


タイラーはお兄ちゃんが大好きだったんだ。
そんなにうまく進めないし、上手に気持ちを片付けることなんて出来ないし、いつまでだって考えているし、忘れられないし、そういうことが誰だってあるだろう。タイラーは簡単には飲み込めないその事実をずっとずっと考えて生きている、そういう人間なのかなって思った。そして観てるわたしは、自分にもそういうところがあるから、少し似ているなと思った。前を向けよと言われることがあるけれど、前なんか向けるわけなくて忘れることだってできない。ひねくれているのかもしれないけれど。タイラーが思っていることはわからないけど、ザックと出会うまでのタイラーは、ずっと頭で考えているような表情をしていた。

そんなタイラーがザックと出会って、ザックと共に時間を過ごして。失っていたものが新しい形で育まれていくのを感じたんじゃないかな。温度を、新しい形で、ザックとの関係を通して、二人が育んだ温度が生まれた。育むって言葉がぴったりだ。だから、今度は自分がザックの力になりたい。ただ過ごすだけが時間じゃない。過ごした時間の長さとかじゃない。密度と温度と互いの心のやわらかさをみせること。二人のやり取りには温度があって、見ていて、ああ人間っていいなって心から思った。


そして人はほんとうに物凄い瞬間を目の当たりにしたときに唖然として言葉をなくすのだ。ザックはビデオを1000回繰り返し繰り返し何度も何度も見て、イメージしてきたんだと思う。ソルトウォーター・レッドネックのあの技を決めている自分の姿を。何度も何度もイメージしてきたのだ。あきらめず。周りに何を言われても。そのザックの持つ強さにタイラーは気づいたし、エレノアもだんだん知っていく。ザックはつよいな。そんなザックが怖いって漏らすシーン。ザックは言葉数は多くないし流暢にはしゃべれない。だけど、いつだって真っ直ぐに自分の想いを言葉に出来るすごい人なのだ。シンプルだけれど真っ直ぐに心と直結している彼の言葉には物凄い力があるのだ。人間の持つすごい力。言葉。言葉は自分が発しているようでいて、実は相手から引き出されていることがあるのだ。言葉は関係性の中で生まれたもの(ツール)だから。ひとりでは歌、叫びはあれど言葉は生まれなかっただろう。ザックはタイラーに出会って初めて知った喜びがたくさんあっただろうな。初めて感じたかなしみもあっただろう。

人の出逢いは宝物というけれど、特別だと思える人がいるということはなんて素晴らしいのだろう。自分の特別を大切にしたいし、誰もが自分の特別を大事に出来る社会に進んでいきたいし、誰かにとっての特別を大切にできる人間でありたいと思った。失敗するし、間違えるし、逃げるし、立ち止まるし、迷うし、途方に暮れるし、自棄になるし、どうしたらいいのかわからなくなるし、かなしくなるし。だけどそこに特別な人間の存在が灯台の灯りのようになって行く道を教えてくれるんじゃないかなと感じた。灯りは温度があって暖かいのだ。熱から離れて冷えた体は小さな暖かさにも熱を感じることができる。ほんのりと暖かくなるのを感じることができる。温度があれば生きていける気がする。