言葉と思考・観たもの感じたもの🎹🌼🌿🌷🐦✨

演劇・映画・音楽を観た感想を書いてます。日記のような思考の記録もあります。

04.映画「アネット」


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監督:レオス・カラックス

脚本:ラッセル・メイル、ロン・メイル、レオス・カラックス

音楽:スパークス

出演:アダム・ドライバーマリオン・コティヤール、サイモン・ヘルバーク

 

※この先、詳しい内容を含みます。

 

 

スパークスのアルバム「アネット」を原案に描かれるヘンリーとアンの二人のロマンスと新しい命アネットの物語。

コメディを生業とするヘンリー(アダム・ドライバー)オペラのソプラノ歌手としてその身を舞台に捧げるアン(マリオン・コティヤール)ヘンリーはコメディアンとしてステージに立ち観客を笑わせる。アンは美しい歌声で観客を魅了し舞台の上で死んでいく。まるで正反対の場所にいるかのように見える二人の共通点、それは歌うこと。やがて恋の物語は新しい命アネットを授かる。

 

美しい音楽

印象に残る二人の愛の歌

ラララララ〜♪ララララララ〜♪

二人の重なる声が、旋律が美しい。

どこか危うさと糸の上を歩いているような不安定さもメロディの中から感じられて。このメロディを聴いている内に私はアネットの世界へと誘われてました。

前半は二人のロマンスが描かれていて。アダムドライバーの甘い声の響き。アンの高音と舞台上での孤独。二人のお互いに惹かれ合う姿。前半の美しさから一転、後半のヘンリーが持つ危うさと止められない進んでいく現実へのとまどいと弱さ。全編を通しすべての音楽を創っているのはスパークス。前半は長調、後半は短調で私にはこの映画自体がひとつの音楽のように感じられました。

 

色々な視点で語りたいことが山程あって、そのくらい私にとってすごい映画でした。すごく盛り沢山の内容で。まず音楽が美しかったです。絵の構図の強さと魅せ方が好きでした。映画を縦横無尽に飛び回っているようなすごさがありました。魅せ方が多彩で緻密で大胆で美しい。そしてアダム・ドライバーが すごかったです。アダムは映画の役に拠って中に入っている魂が違う人なんじゃないかって思わずにはいられないくらい私が今まで観た作品のどのアダムとも違う人で。ヘンリーという魂を持った人でした。私の感覚で、画面の中へと引き込む役者と、画面から出てくる役者がいるのですが。アダムは画面から飛び出してくる役者なんだと改めて感じました。3Dとかではなく、私が受け取る感覚なのですが、アダムはスクリーンからこちら側に飛び出してきてました。

 

息をするな。と観客に呼びかける前説のアナウンスが流れステージの幕が上がる。フードを目深にかぶりシャドウボクシングをしているヘンリーはまるでダークヒーローの様で観客に大人気。冒頭のアナウンスの仕掛けによって映画「アネット」を観にきたお客さんの私は、ヘンリーのコメディショーを観に来たお客さんの視点となって物語が始まっていきます。

長回しで撮影されたというこの冒頭からの一連の部分はとにかく痺れました!かっこいいんです。歩いてくるひとりひとりが何気ない仕草やポーズがかっこよくて。音楽と共に一気に引き込まれました。わくわくして心が躍動しました。最初のここだけで惚れてしまうくらい素敵で。かっこいいんだよなぁ。

 

ヘンリーとアンはデートの度に、あらゆる場面で歌うのですが。

(一番最後に乗せたGINZAのインタビューによると、二人の歌は吹き替えではなくほとんどがそのシーンで実際に歌っているらしい!)その歌と二人の愛の風景との魅せ方にカラックスのセンスを感じさせられました。

 

二人乗りでヘンリーのバイクで帰るシーンで、スクリーンに写る映像からはバイクの風を切っているスピード感が伝わってくるのですが。そこに二人の歌声が聴こえる。リアルであれば風を切っているあのバイクのスピードの中ではたぶん歌えない状況で(撮影ではもしかしたら実際に歌っているのかも…)その風を切って爆速で走るバイクの画と二人の甘い愛の掛け合いの歌がすごくギャップがあってだけどスクリーンの中で共存していて。観ている私は体感としてバイクの風を切ったスピードを感じていて、そこにテンポのゆったりとした甘い歌声が聴こえてきて。バイクの爆速スピード感と二人の甘い歌声というその別の感覚が同時に混じってくるのが新しい感覚で、観ていてすごく面白かったです。

 

もうひとつリアルでは絶対ありえないところで二人の愛の掛け合いで歌っているところがあるのですが。このもうひとつのシーンは、歌が二人の胸の内、愛を表現しているわけなのですが。このシーンは他に誰も真似出来ないんじゃないかって感じました。今までの常識を覆すと言っても過言ではないシーンでした。見てる方はなんだかすごく不思議な感覚になりました。これまた私は初めて感じる感覚でした。

 

他にも絶対これ笑っちゃうでしょっていう面白いシーンがあるのですが。シーンの中で起こっていることがクレイジーでかつ複数もの要素が交わっているため面白いんだけど、その起こっている状況を把握するのに私は精一杯で。おお、これはどうなっているんだ!?なんだこれは〜〜〜!!という連続でした。

 

美しさの描き方が魅力的でした。何度も挟まれるオペラの舞台のシーンで、アンが孤独に舞台の上に立ち歌っている様。そして最後に死んでいく役を演じるアン。そんなアンを袖から見つめるヘンリー。ヘンリーは、アンがその生命を懸けて演じる姿、歌、死への魅力にとりつかれたように魔力に取り憑かれたようにアンを見つめていて。舞台上のアンを観てヘンリーは恋に落ちたのだと感じました。そのヘンリーの表情というか、体の中から沸き起こってくる感情をアダムが表現していてすごいのです。

 

物語を分かつ大事なシーン。そこには必ず歌があって、この映画が歌とともに進んでいくことに違和感がなくてとてもすんなりと受け止めて観ている自分がいました。

 

大嵐の夜。小さな船上での思わぬアンとヘンリーのダンス。ヘンリーの狂ってる感じがダンスに現れていて凄かったです。翻弄されるアンが必死にヘンリーを止めようとするけれども、彼は楽しそうでもあってもう止められないところにいるのを感じました。

 

波すらも踊っているようで、嵐の風が歌っているようで、遠心力と歪み。月の光に照らされたアネットと高く響く美しい歌声。絵画的なそのあまりの美しさに私は引き込まれました。ヘンリーの背中越しに見える景色。背中で語るアダムがまた凄いのです。私はあの月のシーンをたぶん忘れないと思います。

 

アネットは、ヘンリーの目からはずっと人形に見えていて。観ている私(観客)にもアネットの姿は人形で。ヘンリーの、自分とアンの子供であるアネットを受け入れられないという違和感をすごく感覚的に物理的に現していて、凄いなと思いました。

 

光を浴びて歌い出すアネット。

幻想的で美しさもある不可思議な世界。アネットの歌声はアンの亡霊と呪いでもあって。現実からふわりと浮遊するように異世界を魅せてくるカラックス監督の魅せ方に凄いなと私はうなりました。すごい。

 

アネットは終盤までずっと人形なのですが。最後にヘンリーとアネットの二人だけのシーンがあって。二人は対話をする中で、アネットが人形から人間になるその場面は鳥肌が立ちました。お客さんである私は、ヘンリーからの視点でアネットを見ていて、だから今までずっとアネットは人形だったわけですが。ヘンリーがアネットを人形ではなく、ひとりの人間として向き合った瞬間にアネットは人形から人間になるのでした。もう言葉では表せられないくらい凄かったです。これはもうこの映画の一番の魅せ所と言っても良いでしょう。

 

人間である幼いアネットが、ヘンリーに言う

"愛するものがなくなってしまったね"

 

なくなってしまったと同時に、愛するものがヘンリーの手にあったことを告げていて。そのすべてを己の手によって失くしたことをヘンリーはアネットから告げられる。アダムは佇まいから語るのが本当に魅力だなと感じるのですが、ここでもアダムの表情というか佇まいと体の内からの変化や色々な気持ちがすごく言葉ではなく豊かに伝わってきました。

 

これは私が映画「アネット」から受け取ったもので感じたことなのですが。ひとりの人間をひとりの人間として見ることの難しさと、それがいかに重要なことかということ。愛するものから目を逸らすな、逸した瞬間から失っていくよ。そしてそれは取り返しがつかないよ。とカラックスから言われているように感じました。ラストの床の上に横たわる人形のアネットが語っていることはその代償となった人間の命を現しているように私には見えて、とても胸がきつく痛くなりました。

 

愛の歌であり悲劇でありコメディのようにも描かれるけれど、映画の中で取り扱われている出来事は人間社会で実際に起こっている事で。だからファンタジーの世界ではなく、現実の私にリアルに地続きに感じられました。

 

その現実から浮遊するかのように魅せられる美しさがカラックスの映画にはあるんだなと私はすごく感じて。そこに惹かれるんだなと思いました。人間というリアルとダーク・弱さと暗闇と影と光と絵画的なファンタジーが融合されてスクリーンという枠を感じさせない自由自在に飛び回るレオス・カラックス監督。なんて凄い人なんでしょうか。

 

ラストのシーンで。

人形のアネットが床に落ちて人間として去っていった画と、一人残されたヘンリーの姿。この映画は取り返しのつかないことをしたヘンリーを庇うでもなく、慰めるでも持ち上げるでもなく、変にポジティブに映そうとするでもなく。二人の人間の命を奪ったというもう永遠に戻らない事実と、アネットを愛することすら叶わないという事実をヘンリーにそのまま渡していて。部屋の隅にひとりヘンリーを残して俯瞰していく最後のそのカメラの視点が私にはすごく胸にきました。静かな、静かにまっすぐと見つめる視線でした。

 

 

スパークスラッセル・ルイス、ロン・ルイスの二人のインタビューがありました。非常に興味深い素晴らしいインタビューです。観た方も気になっている方も是非!

https://ginzamag.com/interview/sparks/

 

 

ここからは、別視点からの個人的な感想です。

 

上にリンクを載せましたGINZAのインタビューで、ヘンリーは"有害な男性性"を象徴している人物なんだと言われていました。

 

そのことについて思うことがあったので、私なりに掘り下げて考えてみ ました。

 

"有害な男性性"というのを、もう少し具体的な言葉にするとなんだろうかと思いまして。

・支配加害欲

・暴力を拠り所としている

 

何故有害となるのかというと、暴力の先には必ず相手(人間、動物)がいるからで。

筋力腕力があるが故に加害・暴力が男性性のひとつの象徴のようになっている部分があると感じました。ヘンリーはまさに体が大きくて、シャドーボクシングをしている様からもわかるように体を鍛えていて力があります。

 

この視点での私の感想は、ああ殺されるのはまた女性なんだということで。指揮者の彼は男性ですが。最初に殺されたのはアンで。児童搾取されるのは子供でまた女児なのかと愕然とした思いがありました。

カラックス監督は男性だから、男性目線で描いているからこうなるのか…と思いました。今、カラックス監督がこういうテーマで映画を創ったということは、監督自身が切実に感じていることなのかなと想像しました。

 

 

ヘンリー(男性)の支配欲・加害欲・暴力=有害な男性性。それはヘンリー自身に全く自覚がなく社会の構造の中で染み付いてしまったもので。きっとヘンリーと同じように無意識にも擦り込まれていく中で、いつの間にかそれを拠り所にしている男性は少なくないんじゃないかと感じました。事実、身体が大きくて筋力があるというだけで、女性に対して横暴横柄な態度に出る人を現実で多く見かけるし、私も直接合ったことが何度もあるので。

 

舞台上で死んでゆくアンを見つめるヘンリーには、心のどこかで自分がアンを殺したいとか、アンが本当に死ぬところを見たいというような加害欲があったのではないかな…と。と推察するのです。そういう欲望が知らず知らずの内にヘンリーの中で生まれていたのではないか。

 

印象に残っているシーンのひとつが、アネットの出産の場面で。立ち会ったヘンリーが出産に苦しむアンを心から気遣いつぶやいた言葉。

"何か僕にできることはないか?"

"僕はちゃんとできているだろうか?"

 

このときのヘンリーの表情は、とても不安げで心許ないという様子でした。

それはヘンリーが持っている支配加害欲・暴力をまったく手放している瞬間だったんじゃないかと私は感じました。ヘンリーは心細さでいっぱいだという表情をしていたけれど、その姿は真にアンを愛し気遣うひとりの人間・男性としてとても素敵で。人間と人間が愛情を持って向き合う姿でありました。かっこいいとはかけ離れているかもしれませんが、滑稽に見えるかもしれないけれど。私はとても美しいなと感じました。ヘンリーはアネットの出産時に大きな変化を迎えたんだということがアダムの表情から伝わってきました。

 

だけれど、アネットが生まれてからヘンリーはどんどん不安定になっていって。理由はある意味で明確で。ヘンリーにはアネットの存在が人形に感じられてしまう。ヘンリーは自分が不安定になっていくことやアネットの出産時に感じた自分の変化への戸惑い、違和感を抑えられずに、苦しみます。

 

支配加害欲・暴力を拠り所とする自分にはアネットを愛することは出来ないとヘンリーが戸惑っている描写がいくつかあって。(人形のアネットを踏み潰しているシーンなど)大いなる不安にかられるヘンリーは自分でもわからないいらつきと不安ともやもやしたものを抱え、溜まった鬱憤を晴らそうと夜中ひとりでバイクを飛ばすのですが。そのバイクのシーンが、どこか物悲しくて。バイクが走るのを後ろから捉えた画で、そこに流れる音楽は美しいのに人間の弱い部分を表しているように私には感じられて。このシーンはとても心に残っています。

 

そのヘンリーが抱える不安の正体は、これは私の推察ですが。ヘンリーが支配加害欲・暴力に慣れ親しんでしまっていて、子供を育てる家族となることはそこから大きく離れることになるからだと思いました。

支配加害欲・暴力が男性としてのステータスとしてあって、社会の構造がそれを煽っている部分があって。男性という自分を保つために必須のものであるとあらゆる場面から感じさせられてヘンリーは生きてきたのかなと感じました。

支配加害欲・暴力を失ったヘンリーは、不安定になっていきそのフラストレーションから自分のコメディショーでアンを殺してしまったと冗談にならないことを供述する。観客にはそれが演じているのか真実なのかわからない。そんなヘンリーのフラストレーションがアンを本当に殺してしまうところへと行き着いてしまったのだと感じました。

 

女性と子供は男性にとっての人形ではないし、男性の都合の良い存在ではない。アネットが人形ではなく人間であることを、理屈ではなく体感として肌で感じさせられて。あの感覚を創れるのはカラックス監督だけなんじゃないだろうかって感じました。鳥肌が立ちました。凄いです。

この映画はタイトルがアネットであるように、ヘンリーとアンのロマンスだけでなく、アネット(子供)がこの映画の大事な大事な要になっていました。

 

ちょっと横道に逸れますが。

ヘンリーがアンを殺すことになる前にどうにか出来なかったのかなっていうことを思いました。もしもの話ですが。支配加害欲・暴力を拠り所としないひとりの男性・人間としての在り方を模索する道へ進むヘンリーの物語を観たいなって思いました。

 

何の罪もない子供アネットが生涯背負っていくそれはあまりに重く言葉では言い尽くせなくて。悲しそうな全てを悟ったようなアネットの表情を見て、悲しい胸が痛い気持ちになりました。アネットに一生残る傷を与えたのは、ヘンリーであるのだけれど支配加害欲・暴力を是とした社会でもあり有害な男性性なのだと切実なものを感じました。

 

もし支配加害欲・暴力を手放す恐れや不安、心許なさの中にあっても、ヘンリーがそれらを手放した新しい選択の方へと進めていたら。アンはあそこで死なずに済んだかもしれないし、アネットが児童搾取されることもなかったかもしれない。児童搾取から守ろうとする父親にヘンリーがなっていたかもしれない。愛するものを失ったそのすべては、ヘンリーという男性が拠り所にしている支配加害欲・暴力が起因なのだとこの映画アネットを観て私は感じました。

 

凄いと感じるのは、これを理論的な言葉ではなくジェンダーの問題として議論するのでもなく「アネット」という映画の中でアダム・ドライバーが体現していてカラックス監督が魅せているところだと感じました。感覚的に体感として社会が抱える問題を浮き彫りにしていながらもそれだけを主張しているのではなくて。音楽と歌とヘンリーという人間と「アネット」という映画・芸術に私は魅せられました。

 

 

☆最後にヘンリーを演じたアダム・ドライバー(とにかく凄かった!)のことを書いていきます。この映画の主軸となっているのはヘンリーの物語で。とにかくアダム・ドライバーを観たな。堪能したな。と感じました。

アダムの魅力ってたくさんあると思うのですが。私が思う魅力は表情とかではなく、アダムの演じる役の変化とか心情が伝わってくるところで。ぽんって距離を飛び越えて観客(観ている人)に伝わってくるんですよね。スクリーンから出てくる。そこがすごく素敵で彼独特のものだなって感じるのです。

 

私が受け取る感覚なのですが。スクリーンの中に引き込む俳優とスクリーンから出てくる俳優がいて。アダムは完全にスクリーンから出てくる俳優で。アネットを観てさらにそれを感じました。3Dとかではなく感覚なのですが、すごくこっち側に出てくるんですよね…!

それはアダムがカメラの向こうのお客さんの存在を意識しているからではないか、と思うのです(私の感覚で)特に自分がアップで映るときは確実に意識してると思います。他にも理由はあると思うのですが、カメラの向こうのお客さんを意識しているっていうのが、スクリーンから出てくるように感じられる大きな理由のひとつだと思いました。

 

そして作品ごとにアダムという肉体の中に演じる役の魂が入ってるって感じるんですよね。演じていないアダムのことは私は見たことがないから、今まで出演した映画の役のアダムを観ているわけですが。出立ち含めアダムが画面に映ったその瞬間から、あ、別の人だって感じるんですよね。今まで観たどの役とも違う。当たり前って思うかもしれないんですが、映った瞬間からそれを感じるって凄いことで。中身が違うんですよね。

 

そして初めて聴くアダムの歌声は中音域の声の響きが甘くて魅惑的でした。歌って本来の自分がすごく出てしまうものだと私は思うのですが。アダムであるんだけれども、ヘンリーの歌になっていて。凄いな、って思いました。とにかくアダムに魅了されました。カラックス監督もアダムに魅了されたひとりなんだなって映画を観ていて感じられて。なんだかそれが嬉しかったです。すごい俳優だ。

 

アンについても書かせてください!

この映画で描かれているのがヘンリー視点なので、作中のアンの描写もヘンリーの目線からのものになっていて。アン側からの描写やアンのことを掘り下げるシーンがほしかったと個人的には思いました。

ある種、アンという女性はヘンリー(男性側)からの理想として描かれているので、私にはアンも人形のようというか。男性側からの理想の体現になっていて、ひとりのアンという人間としては映されていなかったのが(そういう意図で撮ってるのかもしれないのだけど)、そこが残念だなって思いました。物足りないというか。生きてるアンを私は見たかったです。

 

 

 

以上、長くなりましたが

最後まで読んでくださった方ありがとうございます!