言葉と思考・観たもの感じたもの🎹🌼🌿🌷🐦✨

演劇・映画・音楽を観た感想を書いてます。日記のような思考の記録もあります。

トークセッション「実践することの輪郭を確かめる」

(写真は今回の参加してみて感じた私のイメージ。葉っぱの上の雫が実践。少し引いたカメラの視点が実践を考える)

 

つい先日、トークセッションなるものに参加してきました。とても面白くて、興味深い時間だったので感想を記録に残したいなと思い書いてみます。

 

観劇、音楽のライブ、映画館以外でこういう場にあまり参加したことがなかったので。演劇を観たり、音楽のライブに足を運んだりとはまた違う感覚で新鮮でした。ちょっぴりどきどきしました。

 

今回何で参加したのかと言いますと、体調など諸々の事情をはぶくとして。

もともと意識してなかったのですが、私はわりと日常から勝手に哲学的なことを考えてしまう人間なんだっていうことを何年か前に気づかされまして。

どこかで哲学というのを学んだということはないのですが。

ひとつ記憶にあるのは、

高校の時に、倫理の先生でとても面白い先生がいまして。ピーターという名前のうさぎを飼っていて。そのうさぎの話だったり、授業中にする先生の話が面白くて。

あるとき授業で、サン・テグジュペリの『星の王子さま』の一節を話してくれて。

 

"さっきの話を言おうかね

なに、大切なことは目には見えないってことさ"

 

この有名な一節を何度も暗唱しながら、先生はにこにこしながら机の間を練り歩くんです。

その先生の話し方、声の感じ、表情が今でも思い出せるくらい残っていて。

当時は高校生だったから、今とはまた違う受け取り方をしていたと思うのですが。何度も繰り返す先生の声を聴いてるうちに、この一節がすごく好きになって。

 

そんなことがあってか、もともと私がそういう性質を持っているからか、両方な気がしなくもないですが。

この先生の読んだ言葉が私の哲学のはじまりというか、興味のきっかけになっていて。

 

そんなこんなで、もし諸々が合えばお話を聴いてみたいなと思って足を運べたのでした。

 

ここから、今回のトークセッションの紹介を簡単にします。

 

実践することの輪郭を確かめる
─ 哲学プラクティスとアートプロジェクト

 

登壇者:長谷川祐輔、阿部七海

ゲスト:阿部ふく子

主催:哲学のテーブル

 

 

御三方によるトークセッションということで、なかのなかのというカフェ・バーで開催されました。

 

アーティストとの共同制作、アートプロジェクトの活動、地域に根ざしたアトリエにて哲学対話を開いたり、机の上の文献研究だけではなく、実際にひとと触れ合いながら人間活動の中で哲学を用いてさまざな活動をされている長谷川祐輔さん。

著書:哲学するアトリエ

(素敵なのでぜひ)

 

 

 

アートプロジェクト〈HAM〉の代表で、つくば市を拠点にさまざなアートプロジェクトを行っている、哲学のテーブルの理事でもある阿部七海さん。

 

新潟大学人文学部准教授で近代ドイツ哲学、哲学教育を専門とされていて、地域のさまざまなコミニティや小学校などの学校と連携して哲学対話を推進されているゲストの阿部ふく子先生。

 

この御三方が今回のテーマである「実践することの輪郭を確かめる」ということに焦点を当ててお話してくださいました。

 

(阿部ふく子先生の授業受けたいって思いました。もっと知りたいって思う時間でした)

 

とても面白くて、興味深くて。もっと深めたい知りたい学びたいと思うことばかりで、刺激的な時間でありました。

 

哲学者は、なんの専門家なのか?

参加者の方から出た疑問に対してのふく子先生の答えが、かっこよくて。

あえて言うならば、"問い"の専門家である

問いのスペシャリストだと。

そのあとの長谷川さんが補足的にお話されていた、これは誰もができるわけではなくって、訓練によって、支えられていると。それがすごくそうだよなって自分の中で腑に落ちまして。まさにスペシャリストだなって思いました。先人の哲学者の人のこと、知りたいって思いました。

 

 

投げかけられた小石(問い)が、受けたひとの(私の)からだの中できっかけと刺激になり、ぽーんと波紋のように広がって考えが水の底から浮かんでくる。その浮かび上がってくるものを、拾ってメモに書いて。そんなふうにしながら聴いていました。

 

今回は、長谷川さんが実践を共にしてきた中で一度立ち止まって考えてみたいこと、プロジェクトということが気になっていることなど実践を重ねてきた時間を踏まえての今考えたいこと、考えていることの現時点での経過発表となっていました。

 

長谷川さんのお話を土台に、阿部七海さん、阿部ふく子先生がそれぞれの活動を紹介しながら長谷川さんの議題(と言っていいのでしょうか)と繋がってくる部分や重なる部分についてのお話してくださり、とっても面白かったです。

 

実践すること

 

予期せぬ出来事は、いつだって起こることについての七海さんのエラーの話が興味深くて。どんなに準備を重ねても、起こりうることの方が自然で。逆に言えば、未来を完璧に予測しきることはできなくて。

そういう意味で、"実践"というのは常に動いていて、「動」で、実践について考えることは止まっていて、「止」なんだな。と振り返りながら書きながら思いました。

 

ここでは参加者の方へ、問いを投げかける場面があり。それを受けてふく子先生がお話されていましたが、時間軸で捉えたり、色んな捉え方が考えがあるなと普段あまり意識して考えない(そもそも、実践というワードが自分からはあんまり出てこないので)考えてみるのが面白かったです。

 

実践するとは、、?

 

という問いに対して。参加者の方が、お酒を飲まないことを実践するという、やらないことに対して実践という言葉を使いますということをお話されていて。

 

実践しないことを、実践する。実践するというと、やることをイメージしがちですが「やらないことを実践する」っていうのが、すごく面白いなと感じました。

その人にとって、やらないことの方が強い意思を必要とするからなのでしょうか。実践するっていうと、ちょっと強めの覚悟、強さを感じる言葉だなと感じました。逆に、ふにゃふにゃな強くない実践するも、想像してみたら、かわいくて魅力的ですね。

 

今回テーマになっている実践と実践することを考えるですが。

参加者の方がお話しされていた過去、現在、未来という時間軸で捉えることもできるし。

動と止 実践=動 動いている

実践について考えること=止 止まっている

動と静の関係と捉えることもできるし

(動と止まっているの間にも、ゆっくりと動いているとか、動きながら止まっているとか、きっと色々あって。止の中にも、動があったり)

 

飲んだり食べたり味わうのは、実践しないとわからないという参加者の方のお話から、実践を→渦中と言い換えることもできるなと。

実践する=渦中にいる

実践することを考えるとは、渦中ではない状態で、(未来のもしくは過去の)渦中について考えること、と言えるのではないかなと思いました。

 

最初に載せた葉っぱの写真を例に。空間的に捉えてみると、同じ時間軸の中に両方を存在させることも可能なんだと感じて。(葉っぱの上の雫が実践で。雫からもっと引いて、俯瞰しながら雫を捉えたカメラの視点が実践することを考えることと捉えることもできる)

 

色んな捉え方、イメージが広がって面白いです。

 

考える前に動いてる場合は、実践について考えるというよりも、後から振り返る作業になるけれど、それも実践について考えることになるから。

考える前段階を限りなく減らして実践に乗り込むこともできるし、逆にどこまでも考える準備段階を長く持たせることもできたり、規模感や関わる他者、他者のスピード感、単純に自分の動けるキャパシティだったり、人が間に入れば入るほどその分時間も必要になるし、あらゆるバランスでやりながら探りながらひいひい言いながら、色んな大変な困難を乗り越えて創られているのだということを認識すると、すべての創る人たちにちゃんと対等な対価を払わねばおかしいよねという思いが沸々としてしまいます。

 

ちょっと横道に逸れましたが。

眼の前にあるもの、その時間だけが対価じゃなくて、そこに至るまでのありとあらゆる時間と経験とが入っていることを受け取る側は理解しているっていうことが、当たり前になったらいいよなっていうことをすごく思いました。自分への戒めも込めて。

 

自分の言葉とは

 

ふく子先生の、言葉はコミニケーションの媒介だから、そもそも自分のもの、他者のものっていう風に分けられるのか…?自分の言葉なんて、最初からはないんじゃないかっていうお話だったり。それを受けて、出会った他者の言葉が自分の言葉を形成するように、出会った人たちが自分を形成しているということを長谷川さんがお話したり。

最初の哲学者は、智識・情報は、自己形成のために使ってほしいっていう風に書いていたとふく子先生が話されていて。そういう風に哲学者自身が望んでいたんだということにも私は感動して。

 

はたまた、自分の言葉で話すことを求められる場と、逆に引用して先人の言葉を話すことが求められ、喜ばれることの違いだったり。(関係性や、場、目的、その人の得意不得意だったり色んな状況によって、変わるよなと感じました)

 

プロジェクトというものについて

 

お話を聴いて思ったことは。

 

人間って、プロジェクトとして未来を考えることで今現在を動くことができたり、まだ存在しない未来について他者と考えたり語ることができたり、架空の想定未来を可視化するための枠組みというか、メガネみたいなものなのかなと思いました。

プロジェクトというメガネをかけると未来が見えるみたいな(笑)メガネがあれば、自分もかけられるし、自分以外の人もかけることができる。同じ未来を見ることができる。そんな道具というか装置なんだなって感じました。人間の発明ですね。

 

他にも哲学者の引用からの言葉や、気になることがたくさんあり。今回触れただけでも新しい見え方が広がりました。

 

参加者の方が、哲学を学んでいるひとは、2000年前のギリシャの時代を生きていた哲学者の言葉を知っていて、アドバイスする時にそういう視点から話したり伝えることができるとお話されていて。

これがめちゃくちゃ面白いなと思いました。本を読むことに似ているのかなと思うのですが。先人の言葉を頼りに生きてることってあるけれど、2000年前の古代ギリシャの人の言葉は、全然知らないのでどういう視点でどういう感覚なんだろうって気になりました。

 

実践をしながら、実践について考え、また実践をするということをやり続けることは、※PDCAサイクル(計画Plan-実践Do-評価Check-改善Action)に似ているなと思いました。無意識にやっているのかもしれないけれど、質の向上の基本になるからこれをやればやるほどより深みにいける鍵だと思いました。

(※保育士試験対策講座(四谷学院)保育の心理学-2.保育実践の評価と心理学より)

 

きっと2時間強の時間内では、語りきれないことがたくさんあって。今回発表するためにピックアップしたものは、本当に僅かでその後ろに膨大ななんだかすごい後ろにたくさんの考え、時間、言葉、場、とにかくたくさんのものがあるなと御三方から感じられて。全然語りきれない、語り尽くせてない、まだまだ全然足りないっていう感じがまた面白かったです…!

 

プロジェクトの実践と、実践することを考えることそのスピードによって膨大な事務作業、やらなければいけない手続き、事実としての作業量の多さで忙しくそれはもう忙しくなり、何かこぼしているものがあるようなそんな感覚がすごく確信的に長谷川さんにあるのかなと思いました。

その溢れ落ちていたり、飛ばされてしまったり、隠されていたり、あるのに目を向けてもらえていなかったり、捨てられてしまったり。そういうものたちを、哲学を使ってキャッチして、他者の目に見えるようする、価値を見いだすことが、きっと哲学には可能で、そこに哲学の役割があるんじゃないかと。そんな風に考えているのかなと本を読んで、今回お話を聴いて感じました。それはとても素敵なことだなと思いました。それによって、また新しく見えてくることがきっとあって、そこに掬われる思いがあったり、掬われる人がいるんじゃないかと思いました。私もそういうひとりかもしれません。

 

問いがあるかぎり、考えることは尽きませんね。哲学は抽象度が上がるというお話もありましたが、思考の旅はいくらでもできるので、泥沼にはまりやすい危険が隣にあって。それを知っていても、はまるので怖いよなと、そんなことを思い出したりもしました。

 

からだがあれば、迷宮沼から戻って来られるから、頭だけで考えないことはどんな分野にも共通しているんじゃないかなと感じました。だから、考えが広がり刺激され、そのあと還るのはやっぱりからだなんだなと。

 

色々、自分の中で今このタイミングで参加できてよかったです!

 

お話を聴いているお客さんひとりひとりがそれぞれ自分の中で考えたり思ったり、うーん、、ってなったり。そんな様子を体感できて、自分ひとりで聴くのとはまた違うトークセッションだからこそのものがあって、とても興味深い時間になりました。

 

帰りは真っ暗で、気温が下がり

ひんやりとした満月の一日前の夜に。

 

2023.10.28

演劇「バイオ・グラフィ:プレイ(1984)」



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撮影:奥田隼平

 

バイオグラフィ=伝記

プレイ=演じる、遊び

 

観て体が体感したあの時間をどう言葉にすれば良いだろう。すごく愛おしい時間だった。

とてもとてもとてもとても素晴らしい公演で。愛しい時間でした。

 

○人生をもう一度やり直すことが出来る。ただし、変えられるのは自分の行動だけ。行動科学の学者・教授であるハンネス・キュアマンは、彼の二番目の妻となるアントワネット・シュタインと出会った日を選んでもう一度やり直すことを試みる。アントワネット、演出家、アシスタントの二人とともに。果たして、何度も人生をやり直す中で彼は望むものを手にすることは出来たのか。人生を変えることは出来たのか。

 

今の知識、知能を使ってしかやり直すことは出来ない。という言葉が心に刺さった。やり直しても、今の自分で生きるしかなくて懸命に今と向き合うことしか出来ないということは変わらないのだ。やっぱり懸命に、今を生きるしかないのだと思った。

 

 

キュアマン

この約2時間40分の中で、どれだけ変化しただろうかというすごい変化を遂げていたのがキュアマンだった。7年前に戻って、繰り返しながら時を重ねて、また戻り…演出家のサポートと指示を受けながらキュアマンは真剣に真摯に自分の人生に向き合っていた。そしてやっぱりアントワネットに対する想いだけは失くすことは出来ないみたいだ。

 

自分にとって失くすことができないことが、そのひとの核なのかもしれないと思った。 

 

沖渡さん演じるキュアマンが、年を人生を重ねていっているのに。7年前に戻ってくると、瑞々しく初々しさもある最初の7年前のキュアマンになっていて。それでいて、冒頭とは違う何度もやり直して重ねてきたものを持っていて。それが本当にアメイジングだった!

 

 


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撮影:奥田隼平

 

三橋さん、横田さん。アシスタントの二人が、キュアマンの人生に登場する重要な人物たちを次々と演じていく。匠で巧み。職人だった。

 

キュアマンの少年時代の同級生。キュアマンの父親。家政婦のフバレフさん、キュアマンかかかる医者のおじいちゃん先生。医者の若いしっかりした先生。看護師のアグネス。看護婦長。家政婦のピーナ。御学友。警察、刑事の方。アントワネットを愛するもうひとりの人物エゴン。パーティーにやって来た友人たち。

 

 

どの人物もどこかチャーミングで人間らしくて、三橋さんの人間への愛情ある視点を感じた。アグネスと婦長が好き。観るほどに大好きになっていく。始まりと最後のシーンとなる部分のキュアマンの伝記を読む役割を女性アシスタントが担っていて、それがとてもとても凜として素敵だった。三橋さんが空間に紡ぎ出す言葉が私はとても好きなのです。

 

男性アシスタントは、キュアマンの人生に立ちはだかる重要人物を演じる。

 

横田くん演じる少年時代の同級生、好き。自転車を引くお父さんも魅力的だった。お父さんとても印象に残っている。おじいちゃん先生は面白くてかわいくて、こういう先生いる!って思った。体ごと変化していて、俳優横田くんのいろんな表情が観れてとても素敵だった。御学友はさすがだった。目を見開いて表情が大きく変わるところが人間って感じで素敵だった。エゴンはとても難しい立ち位置だと思ったのだけど、いろいろな感情を持っているんだろうなと感じるけど、静かな佇まいでそこからエゴンって人がどういうひとなのか想像が広がって。すごく魅力的だった。

どの人物たちも鮮やかに演じていて。こんなに年齢も役柄も全然違ったいくつもの役たちを楽しんでいるのが伝わってきて。楽しかった。素敵だった。

 

警察、刑事の人と家政婦フバレフさんのシーン。

 

アグネスがお花を持ってふふっと一瞬笑顔になるシーン。

 

エゴンとキュアマン二人が並んで話すシーン。

 

 

アントワネットとキュアマンふたりがすれ違うところほんとうにダイナミックでドラマティックだった。あそこのあの空気の動き方すごかった。

 


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撮影:奥田隼平

 

アントワネットは、伝記を書いているのがキュアマンだから、当たり前だけどキュアマンから見たアントワネットの姿であるわけで。

 

アントワネットはキュアマンのことを愛しているように私には見えた。だから、最後の決断はやっぱり彼を愛してるからこそなものに感じた。取り残されたキュアマンにスポットライトは当たるけれど。彼女はどんな気持ちで部屋を後にしたのだろう。そこにある愛にキュアマンはいつか気がつくのだろうか。物語はここで終わっているけれど、数年後かにまた二人が出会ったところからやり直している未来はあるのかもしれないし、目的が達成されたことでもう遡ってのやり直しは出来ないのかもしれない。たぶん後者なんだろう。

 

未来はわからない。それはとてもこわいことでもあるけれど、わからないからこそ進んで行けるのかもしれないと思った。キュアマンは、あのラストからどんな未来を歩むのだろう。きっと、やり直したあの時間はキュアマンにとってかけがえのない時間になると思う。そうだったらいいな。

 

お客さんが目の前にいて、舞台が進む。その凄さと奇跡と喜びと戻らない事実ともしもの世界を体感するキュアマンを必死なキュアマンを必死に追っている自分がいた。いつの間にか、がんばれって心の中で応援していた。

 

 

伴走するゲームマスター綾田さんが、やり直す中央の丸い舞台の中をじっと見つめるその集中力がお客さんを引っ張っていたように感じた。最後まで、見つめ続ける彼は伴走者であり、言葉をかける者であり、お客さんと同じ見つめる者であり。彼はまた誰かのやり直す場面に立ち会い、伴走しているのだろうか。それとも、もう一人の自分なのだろうか。未来の自分なのだろうか。

 

 


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撮影:奥田隼平

 

天井から下がる中央の丸いライトが、まるで満月の月のようだった。いつも空から見ている。

 

 

2022.6.9〜2022.6.12 シアタートラムにて

作:マックス・フリッシュ

翻訳:松鵜功記

構成・演出:矢野靖人

出演:

キュアマン:沖渡崇史

アントワネット:川渕優子

女性アシスタント:三橋麻子

男性アシスタント:横田雄平

演出家・ゲームマスター:綾田將一

 

 

 

☆追記☆

 

2022年6月にあった公演日から、この感想ブログをアップするまでにこんなに時間がたってしまった。それはとても個人的な理由で。私が病気のためほぼ寝たきりの療養生活に入ってから、劇中キュアマンがやり直したのと同じ年数でちょうど7年だったからだ。

 

何度もやり直すキュアマンの姿は、自分にも存在していたかもしれない日々を想像させて。どうしたって7年ってそれなりに長くて。私は眠りの中に閉じ込められたような毎日の中で、薄い意識は眠りの中から出ることが出来なくて。現実では私はそういう毎日を生きるしかなかったけれど、病気の原因がもっともっと早くわかっていたら違う未来もあったのかもしれない。劇中、そんなことを考えた。でも現実の私は人生をやり直すことは出来なくて。否応がなく前に進み続け体は年月を重ねるしかない。この公演はそういう自分の人生に対して、フィードバックがかかる舞台だったから。

 

7年間という偶然同じ年数だっただけで、余計感じてしまっている部分があって。辛いという言葉ではちょっと違うのだけど。あまりの時間というものの大きな大きな現実を目の当たりにして、打ち拉がれた。

観終わったあと溢れる感想を書いてはいたけど、楽しかった部分だけを取り出して書くことが出来なくて最後まで書けなかった。今やっとこの記事を更新できたのは、たぶん時間がたって少し離れて見つめられるようになったからというのと。去年のこの時期に比べたら、日進月歩ででこぼこでほんとうに少しずつ体調が上向きになってきているからだと思う。これは素直に、素直に喜ぼう。

 

 
私にとってのパラレルワールド

この公演を観る前から私は毎日毎日眠り続ける日々の中で、パラレルワールドについて考えることがあって。私のパラレルワールドの使い方は、どこかの別次元の世界で、元気に笑って人と一緒に関わって元気に生きてる自分がいるって想像すると、なんだか安心した気持ちになって。そうか、別次元の世界で元気にやっているなら、私は私の世界で生きるのをがんばるしかないなって思えて。元気な自分がパラレルワールドで生きてるって想像すると自分の取り返せない時間とか、もつれた感情たちが報われた気持ちになって。ちょっとすっきりした気持ちになって、自然に今をがんばろうって思えた。そうやってパラレルワールドを私なりに使っていたから。

この公演は、そのパラレルワールドを目の前で目撃して観ている…!って思って。自分と重なる部分が多かったのかもしれない。

 

沖渡さん演じるキュアマンが宙に光に両手を伸ばして、天に届かんとばかりに両手を差し出していたあの姿をたぶん忘れないと思う。あのキュアマンの姿は、生きるっていうのは、そういうことだと思うから。

 

 

Crossing Text:Between Mystery and Mystical ワークインプログレス発表会 微笑む老女 The Smiling Old Women

 

 

6月の後半。

 

ジャカルタと日本との共同制作プロジェクト。インドネシアジャカルタから来日。

 

 

 

共同制作の時間を共に。

ワークインプログレスの公演。

上演。アフタートークとそのあとに懇談会。

 

 

いくつものシーンがオムニバスのように散りばめられながら、全体でひとつの情景が浮かび上がってくる。それぞれのシーンから浮かんでくるもの。感じること。表情がありました。

 

高い天井から下がる白い和紙のような紙。まるで滝のようだと思った。荘厳な、だけど紙が真っ白ではなくてまだら模様があるせいか親しみも感じる。自然の中にいるような気持ちになった。舞台美術。

 

 

◆歌を口ずさみながら、白い布で包まれたものを腕に抱いて歩いてくる女性。椅子がふたつ。右側の椅子にはひとりの女性が腰掛けている。歩いてくる老女は、何かすごく深いところである種の悟りを開いたそんな雰囲気を漂わせている。歌いながらもうひとつの椅子に腰掛ける。この二人の女性のやり取りは、穏やかですごく包み込むようなあったかさがあった。同時にすごく悲しい出来事に触れたことのある人なのだと感じた。

 

 

 

◆台車に乗って、舞台エリアにひとりまたひとりと人間が運ばれてくる。運ぶ人物は深くパーカーをかぶり、黒い服を着ている。表情は読めない。けれど無ではない。静かに人間を運ぶ。

 

 

そこにひとりの女性がやってきて、並んだ人間をカウントをする。横になった人間は動かない。

 

亡くなったひとを人間として丁寧に人として触れている三橋さんの姿は、とても無性に救われる思いがしました。ごめんなさいごめんなさいって言いながら、体勢を変えてあげる。亡くなってからも大切に人として扱ってもらえたら。それだけで心が救われる気持ちになりました。

 

◆パソコンに向かって話す女性。リモートで対話を続け創作してきたコロナ禍を思わせる。遠い場所にいながら、会話したり画面ごしにやりとりができるのはよく考えたらものすごい進歩だなあと感じた。

 

 

◆病や、何かで苦しんでいる人と傍で祈ったり、唱えたり、擦ったり。なんとか助けようとするひと。それぞれ三組が苦しんで、祈っている。インドネシアと日本。違うけど、似た方法を取っていて。住んでる場所や使う言葉や文化は違うけど、人間だなって。変な感想かもだけど、すごく人間を感じた。

 

ひょんなことから治って元気になって、大喜びする。こんなふうに喜び合えるのって、すごいことだなあって思った。ほんとにとてもうれしそうで喜びが溢れてて。喜び合えるのってうれしいなあって。喜び合える自分以外の存在がいること。その喜びを感じた。

 

今の社会で生きてると見失いそうになるけど。自分が人間であることを忘れてしまってはいけないよなと感じた。人間の喜び、原点を感じた。生きてるってこんなに嬉しくて喜ばしいことなんだよなってそう思った。

 

◆三橋さんがひとりお墓参りにやってくる。

天井から下がる薄いまだら模様の白い紙の前にひとりひとりが立つ。今年も来ましたよ〜と三橋さんが話しかける。お父さんはおしゃれだからね〜って。話しかけられたときのお父さんシルさんがとても朗らかで穏やかに嬉しそうに微笑む。ゲネと本番と二回観させてもらったのだけど、このシーンは二回とも胸にこみ上げるものがあって。シルさんの表情と三橋さんの声にうっと涙が出ずには観られませんでした。

 

み〜よこちゃん(みちこちゃんだったかもしれません)。声をかけられて笑顔になるヨファさん。何かをヨファさんが言う。空から聴こえたようにその言葉は三橋さんに降り注ぐ。がんばってますよ〜!って返事をする三橋さん。

 

体は亡くなっても、心は近くにあって。亡くなった人が見ている。演劇だからこそできる表現で。実際には姿は見えないけど。あのシーンのように、ここにいてくれる。見ててくれる。そう思えて。

 

 

◆お客さんが答えたアンケートを紹介するシーン。インドネシア語と日本語とそれぞれ回答が紹介される。

バンキッドさんは、太陽みたいなひとだと感じた。ぱあ〜〜と明るくなる。優子さんはとてもかわいらしくて、板に立ってる優子さんはとてもしあわせそうで私はそんな優子さんを観てほくほくした気持ちになるのだ。嬉しい。

 

 

どこに埋葬されたいですか?

私は月がいいなぁ。と思った。なんでかっていうと理由は、地球から見る月が好きでよく空を見上げてるから。月から見る地球はどんなだろうって。月から地球を見れたら、地球のこと思い出せるしいいなあって思った。

 

◆ロボット三橋さんがお茶を運ぶ。お茶はいりませんか?と日本語とインドネシア語で話しかけながら、移動していく。とてとかわいい。愛らしい。最後にご主人さま〜って高音で泣くところに胸がぎゅってなりました。人と人とのつながり。人とロボットのつながり。またあのロボットの子がご主人さまと会える日がきますように。。

 

おそらく近未来。自分が埋葬される星を買うことができるようになっていて(前のシーンからそう感じたのですが、実際は宇宙旅行かも)

どの惑星がいいかを選びにきた人たちのシーンで。インドネシア語で冒険家のようなアリさんが嬉々として語りだす。たぶん魅力を語っている。どの星にしようかわくわくしながら選ぶ複数のお客たち。いくらかの値段の交渉をする場面もあった。

星が決まったとき、とてもうれしそうな顔をしていたのが印象的だった。それぞれ、どの星に埋葬されるかを決めて手続きの方へと去っていく。そのなかで、沖渡さんとホリファさんの二人だけは星を決めずにその場に残る。

 

 

◆沖渡さんは苦しそうな表情をしていた。ホリファさんは寒がっていた。

二人が横になって、起き上がり体勢を変えながらまた隣で寝る。また起きて体勢を変え寝る。そのやりとりが、視線がすごく日々の毎日の積み重ねと愛情を感じた。このシーンは、すごく胸に残っている。時間が3年くらい経過したのを見たような感覚になりました。あとどのくらい横にいることができるだろうか。何気ない仕草の繰り返しのシーンだけれど、愛おしい時間で。日常の中に隠れている宝ものを見つけたようなシーンに感じて。ここのシーンすごく好きです。

 

言葉がなくても伝わるものがあって。言葉を介さないコミニケーションがとても魅力的で濃くて。これはもしかしたら国際共同制作だからこそより強く見えたのかもしれません。人間の原点。

 

日本とインドネシアは文化が似ている部分があるのかもしれないと感じました。

 

 

◆シルさんの儀式のシーン。

何かの儀式なんだということが、シルさんの装束と佇まい動きそして音から伝わってくる。それは誰かに向けて話されていて。私はお経を思い出した。音が日本で生きてる私も馴染みがあって、だけど異国の国で似ているけど違うけど共通するものを感じる。興味深いと思った。

 

くるくるぐるぐると周りながら、上げている腕の形が変わってお花みたいだなって感じてぐるぐると速く回っているのだけどとても静かで。シルさんの肩と腕の間に纏う風が空気が素敵だなって見惚れてしまった。

 

◆お盆の送り盆。

懐かしくて。子どものときに毎年、父の実家に帰っていとことみんなが集まって。提灯を持ちたくて、どっちが持って歩くかで弟と喧嘩したり。お墓までの途中にご近所さんとすれ違って挨拶したり。にぎやかなお盆の記憶が思い出せれて懐かしくて。夏の夜のあの空気がまさにあの送り盆のシーンにあって。新しい家族が出来て、帰ってきて。そうやって人間の小さな暮らしの営みが形を変えながらも続いていることが、感じられて。代行送り盆は時代が進んだのを感じた。選択肢はいっぱいあっていいよねって個人的には思う。今まで出来なかったことが可能になるのは、すごい進んできてるんだなって感じた。

 

 

全体を通してインドネシア語で何を言ってるかわからないのだけど、なんとなく雰囲気は伝わってきて。文脈、シーンの背景からこういうことを言ってるのかなって感じる部分。まったくわからない部分。両方あって。あえてなのかわからないけれど、全部は理解できないのがリアルだなあと感じた。

 

日本は正座、あぐらをかいて地面に座る。地面とすごく繋がりがあって。その地面と親しいのがインドネシアと共通しているなと感じた。日本よりもっと、インドネシアの方がより地面と親密な感じがした。

 

インドネシア語の響きは、深くて。俳優のひとりひとりのみなさん声がとても素敵で。響きが聴いていて心地が良かった。

 

 

最後のシーン。

 

◆三橋さんに向かって、ホリファさんが微笑んだそのやわらかい微笑みがとても心に残っている。何を言っているのかは、わからないのだけど。歌を口ずさみ静かに歌う三橋さんと、それに答えるようにハミングするホリファさん。じわ〜と心があったかくなった。言葉が通じなくとも、わかり合える、共に在ることはできるのだと。そういう瞬間を目の前にしていた。あったかい希望だと思った。

 

今まで共同制作を重ねてきたその時間がまた重なって今回のワークインプログレスになって。お客さんに観てもらえて。またここから、どこに行くのだろう(次は10月にジャカルタで上演ということで…!)*

 

観る・観られるという関係の公演そのものだけでなく、こうやって創る過程をお客さんにも共有できるのはすごく素敵なことだなと思いました。懇談会では、たくさんの方たちが語り合っていて。新しい出会いがあって。とても良い雰囲気で。うれしかった。

 

こうやって交流できる機会が、また実現できたら素敵だなと思いました。ここに至るまでたくさんの人が関わって、準備をしてきて。きっと色々な大変なことも乗り越えて、この日が迎えられたのだと思うから。ひとつひとつ、一歩一歩進んでいく先に喜びがあるんだなって感じて。私もがんばろうって無限の力をもらいました。 

 

私は1日だけ稽古の見学と当日の受付を手伝わせてもらって。あの場に元気にいられたことが、私にとっては奇跡的で。少しでも携わることができたこと。新しく出会えたことがしあわせで特別な時間でした。

 

観て、終わりだけじゃなく。語り合ったり、感じたことを話したり。そういう場が、私は好きなんだなって改めてとても感じて。観た後にすぐお客さんと言葉を交わせるのはまたとないうれしいことだなぁと思うし、観たあとに直接感想を話せるのはとてもうれしくて。私は演劇が好きなのだけど観るだけじゃなくて。こうゆう観たあとにお互い感じたことや思ったことを話したり、感想を伝えあったりそういうコミニケーションができるのがさらにとっても好きなんだということを改めて実感しました。こういう交流がまたできるようになってきて良かったなってうれしいなってしみじみ思いました。

 

もっと英語が話せるようになって、コミニケーション取りたいって思って。欲張ってインドネシア語を覚えたいなって話せるようになりたいなっていうことも思いました。

 

人が微笑むときは、どういうときだろう。

 

人が出会って心を交わすとき。

大事な人が会いにきてくれたとき。

大事な人が話しかけてくれたとき。

また新しく出会えたとき。

心の深いところでのやりとりが生まれたとき。

大切にする気持ちが伝わったとき。

 

そんなことをこの公演を観て感じました。

 

また新しい出会いに向けて。

またここから出発だ。

 

感謝を込めて🌼✨

 

2023.6.27 

 

 

 

 

07.映画「BLUE GIANT」

 

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※本編の内容を含みます。

 

JASSの音楽を浴びてきました!!音とすごい熱量で体に届いてきて、もう衝撃がすごかったです。劇中の物語のメインとなっている大、雪祈、玉田のジャズバンドであるJASSのライブを体感してきました!!ほんとうにすごかったです。音圧っていうんでしょうか。ちょっと放心状態になるほど、すごかったです。私はジャズをほとんど聴いたことがない人生だったのですが。大の熱いプレーにジャズって、こんなに熱いかっこいい音楽なの!?という衝撃がすごかったです。玉田が初めて大の演奏を聴いたときの反応は、まさに自分だと思うくらい玉田と似た反応でした。大の演奏はふるえるような、びりびりとしびれる、熱とエナジーと感情が音を通して伝わってきました。

 

大のサックスを聴いて触発され、ドラムを物凄い勢いでのめり込んで上達していく玉田。きっと玉田は、大や雪紀のようにすごい才能を持っているっていうわけではなくって。だけど、玉田の真っ直ぐさ、愚直さ、真面目さ、負けない強さがドラムに表れていて。部屋で布団かぶってバケツの裏を叩いていた玉田が、玉田の本気を表していて。あんなにひたむきになれる玉田って…めちゃくちゃかっこいかったです。

初ライブのあとに、玉田にとっては己の現実を突きつけられる悔しい苦いライブになって。ライブ中の心が折れそうになるアニメの表現はまじで自分のことのように苦しくなりました。大と雪祈と別れたあとに、ひとりになって大泣きする玉田。このあとのシーンが私は大好きで。悔しさを吹っ切るようにご飯をもりもりと食べる玉田。何はなくとも飯だ!ご飯食べずに練習できるか!って言ってるかのように、これから目一杯練習して追いついてやるぞってご飯を食べるのです。このシーンが大好きです。

 

そんな玉田のプレーを一番最初のライブから聴いていたお客さんがいて。最後のSo BLUEでのライブでは、一からのまったくの初心者だった玉田はすごい上手になって熱いソロのプレーを魅せて魅せてお客さんを圧倒させて。そこには、一番最初から聴いて観ててくれたお客さんの姿があって。玉田からここまでできるんだぞっ ていう可能性を見せられて魅せられて、どーんと心に重く入ってくるライブで。もう私は玉田に共感して感情移入して観ていました。

 

玉田が大の演奏に合わせて、コーラの空き缶を箸で叩いてリズムを取って音を鳴らしていたときに、生まれた自分の感情に気づく場面!そこの演出が、すごくふわああうわああって玉田の中に生まれた感情とわくわく楽しいがおっちにあるよっていう予感とがすごく画面を通して伝わってきて。振り返ると自分が演劇と出会ったときも、こういう感じだったなっていうわくわく猛烈に心が惹かれるものに出会ったときのことを思い出して。胸がぎゅううとなりました。素敵な瞬間ですよね。大がJAZZと出会ったときもそうだし、誰かが目を輝かせて心から惹かれるものとの出会いの瞬間に立ち会えるって、すごいことだし、幸せなことなんだなあって思いました。

 

幸祈が玉田のドラムをメンバーにすることに意を唱えたときに大が言った言葉がほんとう好き。誰でも最初は初めてだからって!あれは玉田を知ってる大だから玉田を信じてる言葉で。そして何かをはじめようとしているひとの背中を押す言葉で、めちゃくちゃ好きでした。大は自分の演奏がジャズが玉田に響いてドラムをやってみたい!って目を輝かせてる玉田を見てすごくうれしかったんだろうなぁ。短いせりふだったけど、大の表情と声からそれを感じました。

 

玉田とあるお客さんがライブ後に話をする場面。ここが私的に、胸を打ってほんとうにこの場面大好きです。玉田とお客さんとの関係。お客さんの存在の大きさと、玉田がまたがんばるエネルギーをもらうんですよね。見るって、愛だと思うんですよね。うまいとかじゃないけど、見続けるって。そういう、玉田とお客さんとの関係。涙なしには観れませんでした。

 

雪祈の不器用な優しさがとても魅力的で。現実の厳しさを知っていて、表には出さないけれど誰より強い想いを持っていて。でも厳しい自分の見つめたくない部分を突きつけられてからの雪祈は、自分なりのまっすぐで向き合っていって。たぶんかっこわるいって思ってたものを、かっこわるくたっていいって雪祈自身が体当たりで全身でぶつかるような今までにない突破した感があって。痛みを伴う、痛みながら、突破していく雪祈の姿がかかっこよくて。心がううってなり、私もがんばろうってすごく思いました。

 

私の話になるのですが。今まで生きてる中で、どうしようない叫びたくなるような気持ちになったときに。言葉では言い表せられなくて。そういうときに、ピアノを弾いて音にしたときにその言い表せなかった感情を音によって自分の気持ちを代弁してくれてる感覚になったことがあって。アコースティックギターを初心者なので何もわからず、だけど思うがままにかき鳴らして音にしたときにもそれを感じて。生の音って空気の振動がすごく体に伝わってきて。癒やされたり、浄化されたり、鼓舞されたり、パワーをもらったり、言葉にできない部分があることを奏でてくれていて。言葉だともっと頭でっかちになったり言われたことに対して逆に考えすぎてしまったり受け取るのどうしても頭を使うけど。音は体にダイレクトに伝わってくるから、ライブシーンの演出アニメーションがライブの体感してる感覚がアニメーションになって動いていて。演奏してる側の感覚的なものも入っていて。セリフとか説明とか言葉でなくて、視覚的な映像でそれが体験できて。目で音を見てるような、面白い体験でした。ライブのときのアニメーションとっても好きです。パンフレットを読むとそのライブ中の演出・アニメーションについても書かれていて。制作陣の方の言葉を読んだので、さらにもう一回観たいなって思いました。

 

JASSの三人のプレーは、大の底から湧き上がってくるような熱いエネルギーと強い意志と悲しみを知ってるひとの音だなって感じたのです。だから、こんなに胸を打たれるんだなって思いました。

 

今回雪祈のピアノと、JASSの曲の作曲と全部の音楽を担当されている上原ひろみさんすごいです…もうこのJASSの曲すごいですよね。私はNEWという曲がめちゃめちゃ好みで。かっこよくてぐいぐい惹き込まれました。とにかくかっこいいんですよね。物語が進むにつれ三人の演奏も変わっていっていて。それがまたぞくぞくしました。最後のSo Blueでの演奏はもうこれでもかと浴びる音たちがほんとうにすごかったです。

 

大のまっすぐな信じている声。大は自分のことを信じているし、幸祈ことを信じているし、玉田のことを信じている。声からそれが伝わってきて、大の説得力になっていて。山田裕貴さんすげえ〜〜〜って。

 

宮本大(山田裕貴)、沢辺雪祈(間宮祥太朗)、玉田俊二(岡山天音)のメインの三人の声は声優じゃない俳優の御三方が演じてられていて。私は原作の漫画は読んだことないまま映画を観たのですが。声から大、雪祈、玉田がどういう人なのかっていうのがすごく伝わってきて。三人のやり取りのシーンが、好きでした!!友情なんだけど、友情だけじゃないっていうか。声からそれぞれ三人の熱いものを感じました。素敵だったなぁ。

 

大の目はまっすぐ世界一のジャズプレーヤーになるってそこに向かって揺るぎがなくて。大のすごいところって、いっぱいあるけどまっすぐ向かっていけるところだなってすごく感じます。揺るぎがない。本人は好きで夢中になっていておれは世界一のジャズプレーヤーになるってそこに向かって信じていて。そこに伴う行動が毎日何時間も吹き続ける練習することも大にとっては世界一のジャズプレーヤーになるんだからあたりまえっていう感覚なんだろうなって感じて。大のこの考え方は、自分にも取り入れていきたいと思いました。映画では描かれていなかったけど、上京するまでの大のことも知りたいって思いました。そこは漫画を追いかけます。今年一回でも生でジャズのライブに行ってみたいなって思いました。

 

パンフレットがレコードのジャケット仕様になっていてめちゃめちゃかっこいいです!!家の一番良いところに飾ってます♪

 

原作:石塚真一

監督:立川譲

音楽:上原ひろみ

脚本:NUMBER8

 

キャスト

山田裕貴

間宮祥太朗

岡山天音

 

ミュージック

サックス演奏:馬場智章

作曲・編曲・ピアノ演奏:上原ひろみ

ドラム演奏:石若駿

観劇「博士の愛した数式」



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まだ冬の寒さがある、2月下旬。

博士の愛した数式」を観てきました!!

 

※感想は内容を含みます。

 

小さな劇場の中に入ると、客席と舞台との距離は程近かった。お部屋の中の舞台美術。オレンジと黄色の明かりがふんわりと温かみがある空間を創っていた。小さな劇場といっても、心地よい広さと大きさがあるのだった。サイドにあるバルコニー席を含めて、お客さんは満席だった。

 

近藤隼さん演じる語り手と、音楽・演奏の谷川正憲さんがギターを膝に抱えて。客入れからもう舞台上にいるのでした。近藤さん演じる語り手が「まだ、始まりませんからね」とお客さんに声をかける。客席がふふふっと笑いに包まれる。客席の空気がやわらかくなって、ほぐれた。こういう瞬間が私は大好きなのです。

 

きらきら星の唄を谷川正憲さんがギターを弾きながら歌い出す。なんて心に響く声なんだろう。一気に引き寄せられたのであります。登場人物が次々と部屋の舞台セットの中に入ってくる。きらきら星の歌を、登場人物たちも歌い出し声が重なっていく。それぞれが奏でるハーモニーは重なり合って、愛おしく美しくて。わあっとこの世界が立ち上がり、まるでもうクライマックスのようで惹き込まれたのです。この始まりが重なる歌声は、この物語にずっと存在している優しい眼差しを感じた。

 

「きみの靴のサイズはいくつかね?」

数字でコミュニケーションを取ろうとする博士。家政婦として働きにやってきた安藤聖さん演じる"私"にも、観客である私にも知らない数字の世界の見え方を博士は持っていて。博士の数字以外のことに対する不器用さと、数字に対する深い興味と愛情と優しさが、串田さんの佇まいからもう感じられて、串田さんが博士だった。

 

友愛数の話は、涙が出てしまった。友愛数の話、好きだなあ。博士と接するようになって、ポケットにメモとペンを入れるようになった安藤さん演じる"私"がとてもかわいい。いつでも計算したり、探し出せるようにって。素敵だなあ。

 

ルートと博士の二人で留守番ができるか、不安に思う"私"に対して。博士のことを母親が信頼していないことに怒ったルート。そして自分がしっかりと博士と二人でも大丈夫だということを証明したかったのに、怪我をしてしまった自分への悔しさ。そういったものを抱えて苛立ち、母である"私"に口を開かずいるルート。

"私"がルートになぜ怒っているのか、何に怒っているのか話を聴いて。それで安藤さん演じる"私"がルートに謝る場面があって。ああ、このひとはなんて素敵なんだろうって感じたのです。

子どもに対してひとりの人間として向き合って。自分が間違ってたことを謝れて。さらには自分を改めることが出来て。母親と息子でありながら、ひとりの別の人間同士としての関係があって。信頼と尊敬があって。この二人だからこそ、博士とも友だちという関係になれたんだなっていうの感じたのです。ここに至るまで、"私"とルートと二人でいろんなことを乗り越えてきたんだろうなっていう背景が感じられて胸がぐっとなりました。きっと喧嘩もいっぱいしたし、いろんな大変なこともあっただろうな。

 

80分を過ぎて記憶がまったく一からになっても、いつだって博士の変わらないルートへの愛情と優しさ。博士の子どもへの優しさと愛情。

 

博士が涙する場面があって。言葉にできない思いが痛いくらい伝わってきて、その博士の抱くものが客席の空気ごとぜんぶ揺らして、わたしも泣いてしまった。ひとつの感情だけではなくて、今までのたくさんの積もってきたものが溢れたんだって感じて。いろんな感情がきっとあるからひとつではないし絞れないのだけど、わたしには悔しい涙に感じられたのです。記憶が80分しか持たないこと、どうしようもないことへの自分への悔しさのようにも思えた。普段は見せない博士の抱えているものの苦しさやどうしようもなさ、葛藤に触れる一面を見たのだった。

"私"は、博士の異変に気づいてどうしたんですか?って近寄って声をかけるのだけど。静かに博士が泣いていて。そしたらそれ以上もう声をかけることが出来なくて、これ以上近寄れないと感じながら、大きく離れることはしなくて、ちょっと遠くからおろおろととまどいながらも、博士を見守っていて。それがとてもリアルだなって感じて。

"私"の優しさと近づけないその正直さと博士への気づかいがぜんぶ相まって立っている体があって、それででもちょっと離れたところから見守るっていうのが、"私"がどういうひとなのかっていうのを表しているなあって感じたのです。そのまま明かりは暗くなり、次の場面へと移るのです。容易に言葉をかけさせない、容易な言葉をかけさせない、なにも言えないっていうその脚本・演出がいいなあって思った。

 

小川洋子さんが描くやわらかいしなやかな強さがある美しい発見がある奥深い博士の世界。俳優さんの佇まいから、観ていてその芯が伝わってきた。

 

安藤さん演じる"私"の柔らかいだけど芯があってまっすぐなところが声からも表情からも体全体から伝わってきて、とても素敵だった。お客さんのほとんどはきっと、家政婦としてやってきた"私"と同じ目線で博士と接する。"私"のとまどいやわからないけれど面白そうという"私"の視点はそのまま観客の視点になっていた。数学に詳しい方はまた違った印象になるのかな。"私"に博士は数字の秘密について、神秘を伝えるように優しく教えてくれる。博士の数字への愛が溢れている。それを受け取る安藤さん演じる"私"という存在がいるから、博士はますます輝いて見えました。

 

串田さん演じる博士は、もう出てきたときから博士で。部屋に籠もって数字の世界に没頭しているその部屋の空気までをも感じさせるほんとうに博士だった。数字のことを話すときや、ルートと遊んでいるときの無邪気な跳ねた嬉しそうな表情。悲しいも嬉しいも心配も不安も博士は心がとってもやわらかいんだっていうのを感じて。普段生きていると私は心が硬くなってしまうことがよくあるから、博士のやわらかな心に触れてとても心がほぐれている自分がいました。博士と"私"とルートの三人がいるのが愛おしくて癒やされて、ずっと見ていたいなっていう風に感じました。

 

井上小百合さん演じるルートが、ルートで、ルートだった。声がとっても素敵だなって思いました!少年のまっすぐさと子どもの心と色んな感情が声からたくさん伝わってきました。観てからもう2週間くらいたつけれど、今でも耳にルートのあの声が聴こえるのです。思い出せるのです。ちょっと高くてやわらかくてちゃめっけのあるルートの声が。かわいい。少年ルートだったんだよなあ。博士とルートの二人の絡みがとっても好きです。

 

増子倭文江さん演じる未亡人。博士の義理のお姉さん。増子さんの演技が凄かったです。あの役柄を。増子さんが体全体から投げかける厳しさや優しさや愛情が、わかりやすく言葉や表情にはそんなに出ないのだけど。体から香りのように醸し出されていて。すごかったのです。

 

近藤隼さん演じる語り手。素敵だったのです。深い風呂敷を広げ客席全員をひとり残らず風呂敷の上に乗せてくれて、博士の舞台と観客を繋いでくれたのであります。柔らかい雰囲気ながらも、しっかりと舞台と観客の橋渡しになってリードしてくれて。生き生きと語りかけてくれて、観客のわたしはうれしかったです。近藤さんが絶対お客さんひとりも置いてかないぞって包んでくれたから、安心と楽しいがありました。後に、語り手たる理由がわかったときの驚きと納得といったら!

 

草光純太さん演じる組合長。家政婦仲間も演じていたと思います。まさかこんなところから出てくる!?っていう場所からナチュラルに登場してきて面白かったです。

 

音楽・演奏の谷川正憲さん。もう冒頭のきらきら星の歌のときに声がびっくり!声の響きがすごくて、人間の声ってすごい…ってびりびり感じました。寄り添うギターの音、やさしく奏でるその声と存在は安心感がありました。まるで博士のお家を、博士と"私"とルートを見守る大きな一本の木のようでした。

 

 

最後のラストは、ある仕掛けがありまして。驚きでした。まさか。そうだったのか!!っていう驚きと喜びと、舞台ならではの仕掛けでした。うわあ。そのシーンのテーブルに腰かけて後ろから見守っている少年ルートがとても好きでした。

 

その最後のシーンは、わたしは嗚咽しそうになるのを堪えるのに必死だったのでした。もう、博士が自分がルートにプレゼントしたグローブのことを覚えていなくて。素敵なグローブだねって、どんな球でもキャッチできるグローブだっていうところでもう涙が溢れて止まりませんでした。

 

個人的な話になるのですが。舞台上の博士が俳優の蔦森さんに重なる瞬間があって。大げさじゃなくわたしは一番苦しいときに、演劇を観ることでなんとか息をして生かされてきた過去があって。この舞台もそうで。演劇を繋いできた現場に立ち続けたひとから受け取ったものがあることを、心に感じました。

 

串田和美さんが俳優に専念されるその姿を。しかも博士で観ることが叶ってほんとうによかったです。わたしの中ですごく大切で大事な舞台になりました。満員のお客さんの舞台に注がれる熱量にも感動しました。その一部になれてうれしかった。やっぱりわたしは演劇が好きなのだと噛み締めたのであります。

 

2023.2.24 観劇 東京公演

原作:小川洋子博士の愛した数式』(新潮文庫刊)

脚本・演出:加藤拓也

博士:串田和美

私:安藤聖

ルート:井上小百合

語り手:近藤隼

組合長:草光純太

未亡人:増子倭文江

音楽・演奏:谷川正憲

06.映画「SING」「SING ネクストステージ」


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ムーンが劇場を愛してるのが伝わってきてその度に胸が熱くなる

キャラクターの表情が豊かで特に私はムーンの表情が大好き

彼の心の内がダイレクトに伝わってくる

歌が元気をもらえる

落ち込んでいる気持ち

舞台に向かう怖さ

言葉では表せない、深い喪失

前向きなことだけじゃなくて

人の弱い気持ちが大切に描かれていて

この映画のなにが好きって、そこが好きです

観ていて自分と重ねて勇気をもらう

最後には立ち向かう姿と

目一杯歌い演じたあと顔を上げたら、お客さんが大喜びでそれを見て驚きと喜びとなんとも言えない嬉しさが込み上げてくる誇らしい表情があって、ここ大好き

好きなのはとても良い表情で引き込む歌やダンスのパフォーマンスはもちろんです!

2では仲間が増えて

続編の3もあるかな?

心に宿る仲間が増えた 見終わったあと、そういう気持ちになりました

ちょっとだけ心強くなって、前に進めるような力をもらいました

元気無くしたり、落ち込んでいるときだったり、そのときの状況によって観たいものって変わってくると思うのだけど

はたまた、観る気分になれないときもあると思うのだけど

SINGは前を向きたいときに、新しいことを始めてうまくいかなくて落ち込んでるとき、もう一回原点の楽しいを思い出したいとき、そういうときに観たいなって思う作品になりました

帰ってこれる映画があるって素敵だな!

 

監督 ガース・ジェニングス

音楽 ジョビィ・タルボット

脚本 ガース・ジェニングス

 

監督・脚本のガース・ジェニングスは俳優でもあり、イグアナのミス・クローリー役の声を担当していると知ってびっくり!クローリー好きなんだよなあ。。ガース・ジェニングスは、レディオヘッドの楽曲「Lotus Flower」のミュージックビデオを監督していて!このミュージックビデオがグラミー賞にノミネートされたとのことで!わたし、このミュージックビデオを昔に観ていて。シンプルでありながらめちゃくちゃかっこよくて、好きだったから覚えてて。まさか、SINGの監督だった方なんて…!繋がってびっくり嬉しい。もう知ってる方が多いと思いますが、リンク貼っておきます。

 

<https://youtu.be/cfOa1a8hYP8,>


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まだまだ世界は広いのだ。

 

05.映画「THE FIRST SLAMDUNK」


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観てきました…

かっこよかった…

最高だった…

歌が曲がやばい…

サウンドがかっこよすぎる…

井上先生の絵が映画館のスクリーンいっぱいに大迫力で

あんなに流川の下まつげ大きくはっきり見えること他にないのでは…

私は年齢的にお母さんに近いこともあって、お母さんの気持ちをすごく考えてしまった

なんかもう言葉にならないくらいめちゃくちゃ最高でした

井上先生はじめ創り上げてくださった方々にほんとうにリスペクトと頭が下がります

ダムダム!! ボールの音

キュッ!キュッ! コート上のバッシュの音

パシュッッ!! ゴールの決まった音

声援

自分も観客席にいるみたいな感覚だった

さいごのあの無音の瞬間

無音なんだけど、音が聴こえるの

あんなに長い無音がある映画すごくないですか…

井上先生の描く口がすき

井上先生が描く人間

井上先生のバスケットへの途方もない愛と情熱とバスケットが好きっていうのがダイレクトに伝わってきて

すごくバスケットの魅力を感じました

そしてそのバスケットマンたちを描くという物を創るひとたちの執念をすごく感じました

 

 

映画の中にいたひとりひとりに生きてきた人生があって

それは多くは外からはわからないし見えないもので

今回描かれたりょーちんの人生に触れて

ひとりの人間の中に存在している過ごしてきた時間や記憶、におい、感情、肌で感じること、それらが無数にあってそれが生きてるってことなんだと思った

映画の中で描かれたのは、りょーちんのそれでもほんの一部で

THE FIRST SLAMDANKっていうこの映画で知らなかったりょーちんの姿、ミッチー、流川、花道、ゴリ、木暮くん、彩子さん、安西先生、ヤス、角、シオ、桑田くん、佐々岡くん、石井くん

 

予習で漫画読み返して観に行きましたが、漫画の中にいた人物が目の前で動いて息をしていてそれがもうまず凄い感動があり、そしてバスケットの試合の凄さを感じました

お正月に観たので、それから時間を過ごす中で映画を自分の中に染み渡らせるように思い出しながら生活していて

人間と向き合うときに、目の前にいるひとの中にはそのひとが生きてきた時間があって

その時間を想像できるのはちょっとだとしても、そういう重ねてきた見えない時間が人の中にはあるんだっていうことを想像できる自分でいたいなっていう風に思いました

 

そしてBリーグに興味を持ち

近い未来に観戦に行ってみたいという思いが湧いてきました

このスラムダンクがきっかけで、今NBAで八村塁選手と渡邊雄太選手が活躍していることを知りまして…二人の日本人選手が同時期にNBAでプレーしているというその事実がどれだけ凄いのか、体感でわかるほど全然バスケを私は知らないのですが情報チェックしてみようって思いました

バスケットという私にひとつ新しい楽しみが増えました

 

音楽が最高でしたよね

まじでかっこいい…

劇中の音楽すごかった…

2曲すぐダウンロードしました…がんばりたいとき気合入れたいときに聴くと、うおおおお負けないぞって気持ちになります

 

井上先生が描く線から生まれる湘北5人がまじでかっこよすぎる…あのオープニングまじでしびれるほどかっこよかった…

 

シュートを打つときの手首から指先のかかりと手首の柔らかいスナップが滑らかですごかった…

 

人物の動きもそうだし、試合会場の俯瞰のカメラワークと立体的な動きで漫画では見れなかった角度や方向から見れてそれがすごかった…コート上を動き回る10人がいた…

 

あれ私、高校バスケットボールの全国大会の試合会場に来てる!?あの湘北と山王の試合を目の前で見れるの!?ってタイムスリップしたわけじゃないんだけど夢中になって読んでたときのことが蘇って、だけど新しくて、凄かった…気づいたら手に汗にぎってた…

 

もう一回観に行きたい…!!

 

 

原作・脚本・監督 井上雄彦

演出 宮原直樹 大橋聡雄 元田康弘 菅沼芙実彦 鎌谷悠 北田勝彦

CGディレクター 中沢大樹

キャラクターデザイン・作画監督 江原康之 井上雄彦

サブキャラクターデザイン 番由紀子

キャラクターモデリングスーパーバイザー 吉國圭

BG&クロップモデリングスーパーバイザー 佐藤裕記

テクニカル&リギングスーパーバイザー 西谷浩人

シニアアニメーションスーパーバイザー 松井一樹

テクニカルアニメーションスーパーバイザー 牧野快

シミュレーションスーパーバイザー 小川大祐

エフェクトスーパーバイザー 松浦太郎

シニアライティングコンポジットスーパーバイザー 木全俊明

ライティングコンポジットスーパーバイザー 新井啓介 鎌田匡晃

美術監督 小倉一男

美術設定 須江信人 綱頭瑛子

色彩設計 古性史織 中野尚美

撮影監督 中村俊介

編集 瀧田隆一

音響演出 笠松広司

録音 名倉 靖

キャスティングプロデューサー 杉山好美

音楽プロデューサー 小池隆太

2Dプロデューサー 毛利健太郎

CGプロデューサー 小倉裕太

制作統括 北﨑広実 氷見武志

アニメーションプロデューサー 西川和宏

プロデューサー 松井俊之

 

オープニング主題歌「LOVE ROCKETS」:The Birthday

エンディング主題歌「第ゼロ感」:10-FEET

音楽 武部聡志 TAKUMA(10-FEET

 

アニメーション制作 

東映アニメーション

ダンデライオンアニメーションスタジオ