本日のshelf♪ver.IMA

超🌈🐦✨近況と思考

映画「雨の日は会えない、晴れた日は君を想う」

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原題 "demolition" "解体"

時間がかかれども、一体いつそれが見つかるのか、見つからないのかわからなくても。解体しながら、変な自分がなんだか愉快で好きになりながら。そばにいる人に寄り添って共に時間を過ごしながら。そうして辿り着いた先があのメリーゴーランドで。それは綺麗じゃなくて、とても綺麗だった。見終わったあとにふつふつと湧いてくるピースのようなシーンたち。バラバラに見えたピースが最後にある場所へと辿り着く。それを可能にしたのは時間だったのかもしれない。探しながら藻掻きながら笑いながら泣きながら、そうやって過ごしてきた一日一日が。

彼はひとりではなくて、出逢いがあって。その出逢いがまた彼を違う場所へと連れていっていたように思う。共に過ごす彼らを見て、化学反応のように影響し合いながらも私たちは自分の人生を生きるしか出来ないのだということを強く思った。それが悲しくもあり、どうしようもなさであって、でもだからこそ隣にいられるわけで。存在出来る喜びみたいなものを感じた。存在は"present"で喜びなんだよな。一緒に過ごせる時間は特別な時間で。どんなに当たり前に見えたとしても、特別な瞬間なのだ。

私は物事を考えるのに時間がかかる人間で。たぶん10年とか20年とかずっと考えていたりするからそのことが嫌になる時もあったりして。でもこの映画を見終わって、それでいいのかなって思えた。考えている間はバラバラのピースに見えたとしても必要な時間なんだと感じられた。そこを通らなければ、彼でなければ辿り着かなかったこの作品の結末。彼の笑顔は清々しく写った。悲しみもわからなさも空しさも喜びも。全部抱えながら、彼は爽やかに笑っていた。

ハローグッバイ

私はもう大丈夫なんだと思った。いや、最初から大丈夫だったのかもしれない。大丈夫じゃないって自分を卑下していたから、必死にやろうやろうとしていたのだ。何かからの卒業はとても寂しいけれど、変化していくのが自然なのだからそのときが来たのだと手放すときが来たんだなと感じる。もう私は大丈夫だ。孤独の先にそれぞれが光る揺れるひとりひとりだからこその出逢いがあるのだ。
ハローグッバイ
それは愛してるだ。

映画「THE LIMITS OF CONTROL」

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THE LIMITS OF CONTROL
ジム・ジャームッシュ監督。
感服。脱帽。逸脱。遊び心。真理。宙。センス。

なんと言葉にしたらいいのか、凄すぎて。しびれました。ハートを盗まれた感覚。ジャームッシュの作品は脚本や演出、魅せ方がすごく演劇に近いなって感じていて。シンプルに「人間を魅せる」そこに音が乗って、見えてる景色があって。そしてなにより見ている側に自然と俳優の呼吸が入ってくるのがたまらんです。ジャームッシュは人間が好きなんだな。人間が愛おしいんだなって思う。人間の狂気や弱さに対してすごく冷静に観察して作品に落とし込んでいる気がする。なにより映画が音楽が絵画が風景が芸術が何気ない人間の生活や営みが好きなんだなってすごく感じた。人間に対する深い関心と興味と人間が好きで人間の行動と人間とはどんな生き物なのか?っていうのを常に考えている人なんじゃないかなと思う。静かな中にある見えない語られない背景をすごく感じさせる。この作品を通じてジャームッシュにユーモアと遊びと「よく見ろよ世界の見方はひとつじゃないぞ」って言われているような。彼がいたずらっぽく微笑んでいるようなそんな気がしました。ああ、感服。So cool&So crazy!!

音楽がすごく絶妙なラインを奏で俳優と共に演技しているような感覚で劇中を伴走していてすごく好き。音楽を奏でていないときにもバンドの気配があって。画面には一切映ってこないのだけどバンドが劇中ずっと舞台上にいる感じがして、それが演劇的だと思った。その劇中の音楽を鳴らしていたのがBORISという日本のバンドということで!とにかく集中して見れてたまらない時間。

私のジャームッシュを巡る旅はまだ始まったばかりなのであります。

映画「her」

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her またすごいものと出会ってしまった…何回も見たい。言葉で現せられない気持ちに何度もうぅぅってなった。それはホアキン自身が一番揺れ動いていて振動しているからなんだね。ホアキンの内面の繊細な時に激しく時に弱々しく微かに消え入りそうな程の揺れ震えるその振動(たぶんこれが魂の震え)が見ている人を共鳴させ、共振した自分も揺さぶられる。カメラの追い方と景色の見え方が抜群に丁寧でここしかないっていうツボをねらってドンピシャで優しく入ってく。その見せ方がたまらん。景色と人物の写し方や画面における割合が、自然でたまらんときと、これでもかってくらい表情に近寄っていくそのバランスがアンバランスで人間っぽくて好き。全体を通してセオドア(ホアキン・フェニックス)を見守るカメラの目線が近すぎず遠すぎず距離感(物理的じゃなく)が絶妙で優しくて。木とか花と植物の目線だなあと私は感じた。植物は言葉では何も言わないけれど、そこにいてただ見守ってくれている。静かにただそこにいてくれて、静かにただそこにいさせてくれる。そういう目線をカメラに感じた。だから、せつなくさみしくどうしようもなくもどかしく説明も整理も出来ぬまま…でもそれを包んで暖かい。

肉体はないけれどher、サマンサ(スカーレット・ヨハンソン)には暖かさがあるんだよな。人間はぬくもりを、暖かさを求める生き物なんだよな…言葉を贈ることで、愛する人を暖かく包み込むことができる。人のぬくもり、温度について考えさせられた。燃えるような熱さではなく、人肌の体温。人肌のくっついてるとじんわり暖かい体温のような映画だと思った。画面の色使いがセオドアの赤いシャツや黄色シャツに始まり暖色系の色で作られていて、寒色に暖色が入ってくるシーンはそれだけで暖かさを感じました。たぶん画面の温度についてはすごく考えたんじゃないかなと思う。目頭が熱くなる、と言うように涙にも温度がありますもんね。そして、、、音楽が最高。台詞もなんて素敵な視点で捉えて笑ってくれるんだろう。優しい軽やかさを感じる。激しく揺さぶられながら、繊細に落ち込んだり傷つけたり、前に進めなかったり断ち切れなかったりぐずぐずしていたり、卑屈になっちゃったりしながら生きていく私たちと一緒に歩いてくれる映画だなと思った。出逢えたのが嬉しい。ポケットに入れようと思う。自分のコンディションと寒いこの12月の今日っていうのがマッチしたのか今見れてすごく良かった。

最後に。手紙を読むセオドア(ホアキン)の声が優しい。こんなに優しい人いる!?ってくらいに優しい。優しい部分は変わらなくてもいいのかもしれない。セオドアの優しさのように。人間誰しも変われない業なのか変われない部分って持っているんじゃないかと思う。度合いやそれが何かは人によって違うし本当に困りもんだけど、一概には言えないけれど、変われないままでも増やしていけたらいいのかな、景色を。新しく見える景色があるのはそれ自体がもう希望だと感じました。勇気をもらいました。

白い花

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言葉にすることで、そのことを実感してしまうことがあるから言葉にしないで思っているだけでもいいんじゃないかと思っている。いつか、言葉にするときが来るかもしれないし、そう思うとき、つくづく言葉とは自分だけでは生まれないものだなということを実感する。自分の存在だけでは生まれなくて、言葉にしたら読んでくれる自分以外の存在が居て、その人に届けと、書いたりする。どうかと届けと言葉を放ったり、する。私は私ひとりでは何も話さない。言葉にしようとは思わない。だけど、届けたい人の存在が祈りになったり言葉になったり、歌になったり踊りになったり、絵を描いたり、音を鳴らしたりするのだ人間はきっと。そう考えたら、言葉そのものがもう自分以外の存在と繋がっていることを示していて、巡ってきた廻ってきた時間や重なり繰り返されてきた営みを現している。語りかけられ、語り、沈黙し、語り、語りかけられながら私たちは生きているんだなと思う。それは絶望なのか、希望なのかわからないけれど、恐ろしく愚かでかっこ悪いしかない馬鹿かもしれないけど、絶対愛おしいを孕んでいる。死んで生まれ変わって今日だけを生きる。私にあるのはいつも今日だけで、生きられるのはいつも今日だけなのだ。今日会えたらそれはとんでもない歓びなのだ。あなたがいないでなにもはじまらん。です。生きてみます。生きてまた会いましょう。
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今日という日の記録

誰かの思考を言葉にしてそれを読むのが好きだ。静かな静かじゃなかったり、思考を読むのが好きだ。直接話を聴くのとまた違う静けさを持ち合わせているからだろうか。それをタイムリーではなく、書いた時間と離れ文字をたどるのもなんだか好きだ。誰かへ当てた思いとか、何かとか、自分の中でどうしても消化できないことや、話そうにも話せない、じっと考え込んでしまうようなこと、文字にして伝えられる。書きながら自分でも考えたり。
私にはまだどうしたらいいのか、どう受け止めたらいいのかわらかないことがある。ひとつじゃなくて、けっこうある。わからないまま、考えていたり、ふっと浮かんで立ち止まったり、している。

それで全然何も解決になっていない状態で今日を生きる。今の私は生きることが目標だったりする。もうとにかく今日を生きる。生きてればOK。あとは生きてこそのだからまずは生きるのだ。そういう力をもらうのはやっぱり靖子ちゃんの存在が大きい。出来ればもう本当に飛んでいけたら飛ぶくらいにライブに、現場に行きたい。けれど今それは叶わない。だけれど靖子ちゃんの存在を意識している私の思いは私なり靖子ちゃんを好きな気持ちは尊いものなのだ。今、この瞬間だって。そうやって、大好きな人たち、大事な人たちと離れていても自分の生きるをがんばれる関係性って超素敵ですごいんじゃないかって思う。超すごいよね。きっと当たり前じゃないし、一緒に過ごした時間やお互いの意思だったり言葉で上手く言えないんだけど、何か感じるものがあったり。下手くそながら築いてきたこれがもしかして信頼というのかなって思ったりしている。信頼ってすごい。また必ずや巡ってくるだろう共に過ごせるその時間まで。今は一人旅ってところで(ほとんど家にいるけど、思考は飛び回ってる)一人旅も楽しめたらなと思う。楽しもうぞよ〜。