言葉と思考・観たもの感じたもの🎹🌼🌿🌷🐦✨

演劇・映画・音楽を観た感想を書いてます。日記のような思考の記録もあります。

何が語られ、何が語られていないのか。語り得ないものの存在。

曖昧さを出来る限り減らしていく。削っていく。それが突き詰めていくということではないかと考えている。
針の糸通しのように、ここだという針の穴を見つけそこへ己の肉体を通していく。重ねていく。ポイントは肉体(体と声。細かく分けていくと呼吸と重心の位置、動きの質感になるのではないか)をその穴へ通すこと。それは重ねていくことに繋がる。感情なぞはおのずと付いてくるのである。

では針の穴はどこ?どれ?それこそまさに抽象的じゃない。そうめっちゃ抽象的な例えだから、具体的にする。針の穴の具体的なものは戯曲に記されている。ポイントと言ってもいいのかもしれない。とにかくそれは戯曲に書いてある。台詞となっている言葉は表出してくる一つの部分であって、俳優として戯曲を読むときには登場人物(だとして)が何を語り、何を語らないのか。何が語られ、語られていないのか。語り得ないものの存在に着目する必要があるように思う。なぜかと言うと、言葉は語ることが出来ないものを言葉で語ろうとする行為だからだ。だから、俳優が(台詞)言葉をしゃべるとなったとき、しゃべれてはいけないだ。語れてはいけないのだ。語れないけど、語るのだ。それが言葉を語るということなんじゃないかと考える。

何が語られ、何が語られていないのか。
語り得ないものの存在。


これは水俣病展2017で、杉本肇さんと若松英輔さんが対談された際の言葉です。下に貼ったリンクの記事元から抜粋しています。

「語り得ないこと」をテーマに

「患者家族の中で起きた葛藤は書かれていない。本当に大事なことは語られず、記録もされていない」と指摘。写真や資料を展示する水俣病展を例に挙げ、言葉を重ねた。

 「われわれに託されたのは展示に収まらなかった『何か』があることを考え続けること。語られないことに思いを至らせながら水俣病を考えることが大事だ」


何が語られ、何が語られていないのか。
語り得ないものの存在。


若松さんは「本当のことは、語られないまま今も存在しているのではないか」と応じ、「われわれは単純に善悪の構図で分けたがるが、それでは現実が見えなくなる」と強調した。


若松さんは「語り得ないものをどう受け取り、後世に何をどう語り伝えていくか」と問題提起した。その上で「心耳(しんじ)」という言葉を紹介し、「水俣病を考えていくということは、声ならぬ声を心の耳で聞いていくことだ」と会場に呼び掛けた。

杉本さんは母の生き方に一つの答えがあると考える。言葉をたくさん持っていない漁師の母は苦しみ、試行錯誤して魂の入った言葉を見つけた。小さい頃によく『魂ば入れんば』と言われて育てられた。魂の入った言葉の力は違う」


語り得ないことに思いを 杉本肇さんと若松英輔さん対談 水俣病展2017 「心耳」傾け考え続ける
2017/12/10付 西日本新聞朝刊


www.nishinippon.co.jp



この記事を読んで、なんとも言い表し難いのですが、私が一番に考えたのは言葉の発生についてでした。(水俣病展の記事なんだから、水俣病について一番に考えるのが普通でしょうが!と言うお怒りの声もあるかもしれないのですが…)水俣病のことを知っていくこと、抱えている問題は現在にも続いていることを考えること、自分が出来る範囲になってしまいますがしていこうと思います。一番に想像したのは言葉が生まれる瞬間のことでした。どんな空気の中、どういう風に、どんな表情で、どこを見ながら、どんな姿勢で、向きで、どんな声のボリュームで、どういう風にこのお母さん(水俣病を抱えながら年を重ねた女の人)は語ったんだろうかと。

私の演劇に対する興味って、やっぱり言葉なんだなと感じています。言葉が生まれる瞬間に興味があるというか。言葉が生まれる瞬間に立ち会いたいから私は芝居を観に行くのかなとか思います。これ根拠のない確信で、言葉が生まれる瞬間には絶対的な人間の感動があると思うんですよね。生命の誕生って(私は産まれたたことはあるのですが、産んだことはないです)物凄い瞬間、ビッグバン、感動だと思っていて。赤ちゃんの産声とかすごいんですよ。(これはまた別に書きたいことです。)その声、言葉が人間から出る瞬間って物凄い感動があると思っています。そこに立ち会えた感動って生きていける、生きてて良かったって感じる感動だと思う思うんです。私は足を運んで芝居を観に来てくださったお客さんに、そういう感動を感じて帰ってもらいたいなと思っています。そういう俳優でありたいです。

なんか最後宣言になってしまいましたが。

人間が言葉を発する瞬間。戯曲を読む時。語り得ないものの存在。なんで人は劇場に足を運ぶのか、という問いに対する私なりの一つの答えが見つかったのでした。