本日のshelf♪ver.IMA

春日茉衣/超俳優/2020

変容/transformation

変容する瞬間、変容していく様、変容し続けていく姿。観客を変容にもちこむということは、俳優が変容していくということ。観客は俳優を通し感じ見変容していく。

声が出る瞬間には叫びと祈りがあるんじゃないか。言葉が生まれる瞬間には叫びと祈りと願いがあるんじゃないだろうか。その声は言葉は、観客が聴いている。人は変容し続けていて、それは言葉を共にしているのではないだろうか。己の吐いた言葉によって変容し(意図せず言葉に因って)、言葉にすることで己を変容させようとしているのではないか。観客、俳優、変容、言葉。私たちは何を求めて劇場に足を運ぶのだろうか。

          • -

どのように、どのような、変容なのか、はたまた変容しないのか。それは扱う戯曲やテキストにより違う。私は俳優だから俳優として考えるけど、わかっていることはどんな言葉を扱うにせよ、自分を使って(お前の持っているありとあらゆる資源を使い尽くせ)そのテキストなりが生まれる現場を発生させるということ。そのとき何が起きているのかというと、現場を見ている側の人間も同じ体験をしている。(ように思う)観客も同じ体験をしていると仮定すると、すごく難しいのだけど、俳優側に装ってる部分(意図的であれ無意識であれ)、余力、使い尽くせていない部分が微かにでも存在すると観客にも微かに余裕が生まれる。(余裕という言葉が当たっているかというとちょっと違う意味に捉えられてしまうかもしれないのだけど)本当にその言葉がその俳優からまさに現在(イマ)生まれている時(たぶん使い切らないとそこでその言葉は出てこないはずだから)、観客も同じ体験をしているから微かな隙間や余裕はない。と思うのだ。とんでもないことが起きていて、観客は俳優を通して感じ同じ体験をしているから、そこに余裕はない。のではないだろうか。観客の余裕の有無、それが一個基準になってわかるっていうか。上手く言えないのだけれど。自分が観てきたものを思い出しながら考えてみたときに、奇跡って言うとちゃっちくなる気がしちゃうんだけど(そんなことはない)、奇跡のような公演っていうのがいくつかあって。つい先日10/27に観た「トスカ」のあの公演もそうで。ああ、こういう瞬間があるんだよなっていう。その時っていうのは、観客は全神経使って感じ見て聴いていて、俗(?)が入り込む微かな隙間余裕はないんだよね。何が言いたいかっていうと。俳優はテキストが生まれる現場を押さえる、自分を使い尽くしてその現場を発生させる、そこには変容がある、のではないかということ。そしてそこに注力していけば、大きく道を外すことはないんじゃないかということ。やってみてこっちじゃないね、あっちだね。とかになるっていうか。ううむ。全くとっかかりがなくてわからなかったら、演出に相談してもいいし。どう思う?って共演者と話してみてもいいし。これは俳優復帰して迷いの森に入ったら読んでくれ私。