本日のshelf♪ver.IMA

超🌈🐦✨春日茉衣

私たちは観客がいて初めて存在できる

自分のことを知っていくことは生きていく上(生活面)でもプロフェッショナルな仕事をする上(仕事面)でも必要なことで、一生続く終わりのない作業だと感じる。

自分のことを知る、というのと
自分にしか興味がないというのは違うよなと。

自分に興味はあって構わないが、比重が極端に片寄って自分(ここで指したいのは演じる俳優)だけになってしまうのは違う。そこに陥ることはよろしくないし、一刻も早く出てくることを要する。

その自分だけにならないカギは、俳優の存在に繋がるのだけれど、俳優が俳優として存在するのは、そこに"観客の視点"があるときである。"観客の視点"があって初めて稽古になるのだと思う。この場に観客はいないけれど、"観客の視点"を想定することで俳優は存在することができ稽古が可能になる。
そして演出家は、チームの舵取りをする船長であり観客の目を持つ人物なわけである。(稽古は来るべき観客との出会い(公演当日)に向けての準備期間であり作戦会議の場であると私は理解している)

そうすると"観客の視点"が欠落している訓練なりワークショップなりは"俳優の訓練"にはならないということだ。
"観客"なくして"俳優"は成立しないのだから。
"観客の視点"なくして"俳優の訓練"なぞあり得ないのだ。

とすると、俳優の訓練をしたいと望むならまず一番始めにすることは、"観客の視点"を想定することである。逆に言えば、"観客の視点"さえキープできていれば、俳優の訓練は可能になる。いつだって、どこにいたってね。

以下、先人の言葉を引用する。

 「ある空間を設定し、その前に観客の眼を想定し、その空間においてどのように身を構えるかと考えた時、我々の「演劇」ははじまっているのである」
別役実