言葉と思考・観たもの感じたもの🎹🌼🌿🌷🐦✨

演劇・映画・音楽を観た感想を書いてます。日記のような思考の記録もあります。

パンくずという名のメモ

先日、カンパニーメンバーの竹村さんが基礎稽古の内容や感じたことなどを書いて共有してくれたのを受けて。竹村さんの文章に触発され、私も色々考えることが出来たので。せっかくなのでメモとしてまとめてみます。トピックがいくつかあったのですが、その中の一つを取り上げます。

○台詞を言うときに何を考えているかについて話す

今までも何度か稽古場でこの話は出たことがあって。私はこれを問われると頭がパニックになって言葉が出て来なかったり、言葉にしてみても自分で何を言っているのかよくわからなかったり…ということが多々ありました。何故に頭がパニックになるのかと考えたところ、私は自分が"思っていること"と"感じていること"と"考えていること"がごっちゃになっていたのであります。そこを分けて紐解いてみました。


◇思っていること…見たり聞いたりなどの外界からの情報に対して、思う
例)雨が降ってきたのを見て、雨が降ってきたなーと思う。犬が吠えている声が聞こえ、犬が吠えてるなーと思う。

◇感じていること…自分の体が感じていること、身体的感覚
例)ここの床冷たいなー、とか、私汗ばんできたなーとか

◇考えていること…お客からの見え方、どう見えるか、関係だったり、全体の空間において。
例)○○さんそうくるか(思う)→じゃあ私どういこうかな、こういったらこう見えるかしらとか

思う

考える

これはよくあって、外界からの情報を取り入れながら考えている。(妄想になると外界関係なく考えちゃうから、自分の考えてることが外界と関係しているかを見ると妄想か現実かを見極められる。見極める一つの方法となる。妄想、空想に走りやすいからね、私は。妄想や空想は稽古場の外でしましょうね。稽古場では外界、現実に集中しようね。)


で妄想に近いのだけど、自分がどうこう、自分のことを考えているとき=集中出来ていない証拠だからまずは集中できる状態に持っていくことが先決となる。集中してる状態から稽古は始まるから。それがスタートラインに立つってことなんだけど。簡単なんだけど、簡単じゃなくなると簡単じゃないんですよねこれが。迷いの森に入るともれなく集中出来なくなるので、自分もしんどいし周りをもしんどくしてしまいます。誰もいいことないので、足を踏み入れても出てこられるようにとこうしてメモというパンくず(青い鳥)を撒いているわけなのですが。

集中することのきっかけになるんじゃないかなと思うのは、自分で考えるということが一番必要で一番大事なんじゃないかということで。なんでもよくて、馬鹿みたいな阿呆みたいなことでもよくて。自分で考える、っていうことがなによりの俳優の武器になるんじゃないかと思いました。そこにたどり着きました。それはひとりの人間としてもですよね。それがきっと何をするにしても一番楽しいんじゃないかなと感じています。自分で考えるっていうことをしていったら、自ずと集中していくのかなと。


自分で考えられないときって、余裕がないことがほとんどなので物理的に予定を詰め込み過ぎていたり、ずっと緊張していたり気が張っていたり、リラックス、心も身体も緩められていない、疲れたままで回復出来ていなかったりが必ずあるので、それを考えます。


時間的・精神的・身体的


この3つのバランスだなと。割合やさじ加減は人によって本当に違うと思うので、生きる上で自分のベストを見つけられたらいいなと思います。模索中ですが、「ああ、今心地良いな~。良い感じだな~」という時間を増やしていけたらいいのかなと方向を確認したりしています。年齢を重ねたり、自分の身体も家族や周りの状況も変わっていくから、たびたび見直すことの大事さも感じております。何事も日々調整と見直しとお手入れと回復と…とにかく自分をお世話してあげることだなと。

話飛んじゃった気もしますが、どこに向かっていくのかっていう目指したいところがここっていう図を書いたのでそれを載せて終わりたいと思います。

要素は
・観客の視点
・戯曲ないし言葉
・俳優(私)の声と身体

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です。最終的にはここに演出も絡んでくると思うのですが、演出は観客の視点に含んでます。図がめちゃくちゃ汚いですがあしからず。この三つの要素が重なる部分をちーっこくていいからまず見つけること。で、そこから重なる部分をズズズッと増やしていく。稽古しながら探り試しズズズットしていく。目指すは三要素がぴったりと重なる瞬間。ここが全部重なったときにどうなるか、どこにいくのか、何が聴こえ、何が見えるのか。それをお客さんと一緒に感じにいきたい所存です。重なった先を一緒に見たい感じたいという欲望があります。お楽しみに!

(竹村さん、考えるきっかけをありがとう~!神川さん、稽古場に行けないのでTwitterでのつぶやき楽しみにしております~ありがとう~!)

おわり

願いであって祈りたおやかに

受け止め切れないものがあってそれはそのまま
受け止め切れないままこの胸にあってもいいよね
おろおろとうまい折り合いをつけられぬまま
毎日泣いたり笑ったりしてもいいよね
いつかこれだとぴったり当てはまる言葉を見つけられるかな
いつかすんなりと府に落ちる瞬間が訪れるかな
いつか心から受け止められる日がやってくるかな
そのときまでこのまま不安定に揺れながら持っていようか
捨てようにも捨てられないならひとまず持っていようか
揺れながらたおやかにたおやかに
風のように過ごしていけたらいいなあと思うのです

 

大杉漣さんに寄せて

ご冥福をお祈りいたします

予定は未定で予定

完全療養生活も丸二年が経過し、今年は三年目になります。わお。ひとまず自分の整理も兼ねて、2018年の方向を書いていこうと思います。

まず大きくひとつあるのが、保育の勉強のこと。春と秋の二回受験をして保育士の資格を取得しようと考えてます。(ダメだったら、また次の春に受けようと!)9科目の試験で全てが合格ラインを突破すると、次は実技の試験になるのですが。そこでね、音楽・美術・お話を空で語る(たしか3分)のどれか二つを選んでやるのです。でね、私は音楽とお話を語るやつをやろうと決めていて。試験官の方たちに昔話とか何でも良いのですがお話を語るんです。それがね、私のプチ復帰第一段だわ!と思っていて。自分以外の他者がね聴いてくれる場に行けるチャンスなのであります。心をじんわりとなのか熱くさせるのか何を話すのかにもよりますが、感動させるわとかね、考えていたりしてて楽しみでもあるのです。なのでまずは科目ガンバリマス。

あとね、どこでいつ行けるのかはまったくわからないのですが年内のどこかで大森靖子ちゃんのライブに行くことを心に置いています。

そしていらないものは捨てる。嫌なものは受け取らない。淀みなく滞りなくを意識して余白を愛する。ある程度絞っていきます。30代自分次第でいかようにも楽しむことが出来るんじゃないか、なんかもっと楽しめるとこにいけるという確信がありそこは妥協しないで生きたい部分であります。まあとりあえず実践していくのみであります。緩やかに緩やかに歩いていきます。

はてなブログを選んだきっかけでもあり好きな人の言葉から

人生は続く…

「MVP」桑田佳祐ソロ30周年ベスト・ミュージックビデオ集発売

2018年1月3日(水)桑田佳祐ソロ30周年ベスト・ミュージックビデオ集「MVP」が発売となりました!

ご縁が繋がり私も出演をさせて頂きました2012年発表の「愛しい人へ捧ぐ歌」のミュージックビデオも収録されております。無名の俳優だからこそ出来た役割だと感じていて。素晴らしい曲のミュージックビデオ形成の一部になれたことを誇りに思います。

桑田さんがどういう風に曲を届けようと考え、どういうミュージックビデオが出来上がり、それがどんな風に受け止められたのか。どの曲も、聴く人それぞれの個人的な個人的な思い出と結び付いているのだろうと思います。景色、見ていた風景、空気、におい、町、時代の感触、感じていた気持ち、一緒に聴いていた人の顔…ミュージックを見ながら曲を聴きながら、蘇ってくるものはなんでしょうか。(私の場合は両親が昔からサザンが好きで。幼い頃から車でかかるBGMはいつも桑田さんの声だったので、家族みんなで歌いながら渋滞真っ只中にいたことを思い出しそうです)桑田さんの歴史が詰まったこのMVPがたくさんの方の元へ届きますように。

桑田佳祐ソロ30周年ベスト・ミュージックビデオ集「MVP」発売に寄せて

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個人的に、タイトルになっている「MVP」とはどういうことだろうかと考えてみました。一曲一曲全部がMVPで。聴く人の生活や人生と共にある、自分にとって特別なものになった曲・ミュージックビデオ、それがMVPで。桑田さんのどの曲にも特別な思いを抱く人が必ずいると思うんです。そんなあなたにとってのMVPの曲・ミュージックはなんですか。もっと大きくすると、曲・ミュージックビデオに限らず、あなたのMVPはなんですか?タイトル「MVP」からそんな風に語りかけられているように感じました。

(あなたの特別を教えてちょうだい!あなたの大切を僕に教えて、それが僕の曲だったらいいな~と桑田さんから語りかけられているような気すらしました。妄想入ってますが本気で思いました)

これは私が感じたひとつの受け取り方にすぎないのですが。何が言いたいかと言うと、このタイトル私は好きだ!と言うとことです。色々想像してみたり、誰かと話したり、議論してみたり、一曲一曲からいろんなこと思い出して話したり、ひとり何度も見返したり…そんな風に見てもらえたらこんなに嬉しいことはないんじゃないかと思うのです。見るっきゃない⭐

"感謝" 2017

2017年、残り31日を残すのみですね…
今年を一言で表すと"感謝"の一年でした。

1月のダイアログ・イン・ザ・ダーク、1月生まれの会にて。出会ったみなさんと素敵な時間を過ごすことが出来ました。(当時体調が今より悪くて書くことが出来なかったのですが、本当に私にとって奇跡のような日でありました。不思議なんですが、最後にはみなさんのことを家族のように感じる気持ちが湧いてきて。あの時間に支えられました。ありがとう。また会える時が来ると勝手に思ってます)

書ききれませんが、いろんな人に助けてもらって、支えてもらってやってこれました。全然会えてないけど、心配してくれたり、遠くから応援してくれてたり、見守ってくれていたり…。ずっと寝てるしかなくて、何も出来ない悔しい時間も多かったですが、それ以上に嬉しいことや気付けたことが沢山あった一年でありました。それは病気したおかげだと思うので、感謝をします。ありがとう。

来年は、大好きな人たちに会える一年に出来たらいいなあと思っております。本当に2017年ありがとうございました!!皆様どうぞ良いお年をお迎えください🐶

追記…俳優復帰は2020年を目指して動いています。演劇を私の人生を通した仕事に出来るようがんばります!


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何が語られ、何が語られていないのか。語り得ないものの存在。

曖昧さを出来る限り減らしていく。削っていく。それが突き詰めていくということではないかと考えている。
針の糸通しのように、ここだという針の穴を見つけそこへ己の肉体を通していく。重ねていく。ポイントは肉体(体と声。細かく分けていくと呼吸と重心の位置、動きの質感になるのではないか)をその穴へ通すこと。それは重ねていくことに繋がる。感情なぞはおのずと付いてくるのである。

では針の穴はどこ?どれ?それこそまさに抽象的じゃない。そうめっちゃ抽象的な例えだから、具体的にする。針の穴の具体的なものは戯曲に記されている。ポイントと言ってもいいのかもしれない。とにかくそれは戯曲に書いてある。台詞となっている言葉は表出してくる一つの部分であって、俳優として戯曲を読むときには登場人物(だとして)が何を語り、何を語らないのか。何が語られ、語られていないのか。語り得ないものの存在に着目する必要があるように思う。なぜかと言うと、言葉は語ることが出来ないものを言葉で語ろうとする行為だからだ。だから、俳優が(台詞)言葉をしゃべるとなったとき、しゃべれてはいけないだ。語れてはいけないのだ。語れないけど、語るのだ。それが言葉を語るということなんじゃないかと考える。

何が語られ、何が語られていないのか。
語り得ないものの存在。


これは水俣病展2017で、杉本肇さんと若松英輔さんが対談された際の言葉です。下に貼ったリンクの記事元から抜粋しています。

「語り得ないこと」をテーマに

「患者家族の中で起きた葛藤は書かれていない。本当に大事なことは語られず、記録もされていない」と指摘。写真や資料を展示する水俣病展を例に挙げ、言葉を重ねた。

 「われわれに託されたのは展示に収まらなかった『何か』があることを考え続けること。語られないことに思いを至らせながら水俣病を考えることが大事だ」


何が語られ、何が語られていないのか。
語り得ないものの存在。


若松さんは「本当のことは、語られないまま今も存在しているのではないか」と応じ、「われわれは単純に善悪の構図で分けたがるが、それでは現実が見えなくなる」と強調した。


若松さんは「語り得ないものをどう受け取り、後世に何をどう語り伝えていくか」と問題提起した。その上で「心耳(しんじ)」という言葉を紹介し、「水俣病を考えていくということは、声ならぬ声を心の耳で聞いていくことだ」と会場に呼び掛けた。

杉本さんは母の生き方に一つの答えがあると考える。言葉をたくさん持っていない漁師の母は苦しみ、試行錯誤して魂の入った言葉を見つけた。小さい頃によく『魂ば入れんば』と言われて育てられた。魂の入った言葉の力は違う」


語り得ないことに思いを 杉本肇さんと若松英輔さん対談 水俣病展2017 「心耳」傾け考え続ける
2017/12/10付 西日本新聞朝刊


www.nishinippon.co.jp



この記事を読んで、なんとも言い表し難いのですが、私が一番に考えたのは言葉の発生についてでした。(水俣病展の記事なんだから、水俣病について一番に考えるのが普通でしょうが!と言うお怒りの声もあるかもしれないのですが…)水俣病のことを知っていくこと、抱えている問題は現在にも続いていることを考えること、自分が出来る範囲になってしまいますがしていこうと思います。一番に想像したのは言葉が生まれる瞬間のことでした。どんな空気の中、どういう風に、どんな表情で、どこを見ながら、どんな姿勢で、向きで、どんな声のボリュームで、どういう風にこのお母さん(水俣病を抱えながら年を重ねた女の人)は語ったんだろうかと。

私の演劇に対する興味って、やっぱり言葉なんだなと感じています。言葉が生まれる瞬間に興味があるというか。言葉が生まれる瞬間に立ち会いたいから私は芝居を観に行くのかなとか思います。これ根拠のない確信で、言葉が生まれる瞬間には絶対的な人間の感動があると思うんですよね。生命の誕生って(私は産まれたたことはあるのですが、産んだことはないです)物凄い瞬間、ビッグバン、感動だと思っていて。赤ちゃんの産声とかすごいんですよ。(これはまた別に書きたいことです。)その声、言葉が人間から出る瞬間って物凄い感動があると思っています。そこに立ち会えた感動って生きていける、生きてて良かったって感じる感動だと思う思うんです。私は足を運んで芝居を観に来てくださったお客さんに、そういう感動を感じて帰ってもらいたいなと思っています。そういう俳優でありたいです。

なんか最後宣言になってしまいましたが。

人間が言葉を発する瞬間。戯曲を読む時。語り得ないものの存在。なんで人は劇場に足を運ぶのか、という問いに対する私なりの一つの答えが見つかったのでした。